崇仁の夏まつりに参加。崇仁地区の”まちづくりの原点”に触れる
昨日で、第175回臨時国会が閉会しました。 これから地元で夏祭りや平和盆踊りなど夏の恒例行事を駆け巡る日々が続きます。
今日も夕方から、下京区の崇仁学区・夏まつりをはじめ、夏まつりや盆おどりの会場を駆けめぐりました。
写真左は、下京中学校の吹奏楽部によるオープニング演奏のようす。昨日も明日も地域のイベントで演奏があるのとことで、まさに”引っ張りだこ!”ですね。外国の方も知っている楽曲を演奏したためでしょうか、外国人観光客も吸い寄せられていました、集客力もバッチリです。この会場は、国道24号線の上に位置する絶好の場所。下側は東海道線、東海道新幹線があり、列車から丸見えです。笑ってしまいます。
夏まつりが始まるまで、少し時間がありましたので、まつり会場のすぐそばにある『柳原銀行記念資料館』を見学してきました。
崇仁地区はその昔、柳原町という独立した「町」でした。その初代町長の明石民蔵氏をはじめとした地元の有志が1899年に設立した『柳原銀行』という銀行がかつてありました。
同和地区内に認可・設立された唯一の銀行です。
当時、差別のために資金を得られなかった皮革業者などに融資をして、産業の育成・地域振興に大きく貢献し、収益を地元の小学校の運営資金などに充てるなど、自力で差別を撤廃していく模範とされたそうです。
崇仁地区の皆さんが100年以上も前に、差別に負けず行政依存ではない”自主的なまちづくり”を進めておられたということに感動しました。
銀行としては金融恐慌の影響で1927年に倒産、その後、建物は借家や商店として利用されていましたが、1986年の道路拡幅工事の際、取り壊す案がだされたそうです。しかし、地元の熱意もあって京都市登録有形文化財として認定され、建物を移築・保存、現在は柳原銀行記念資料館として開館しています。全国水平社の結成宣言(現物)など、貴重な資料展示もあります。
写真右の右下が移築前の(私が学生ぐらいの頃か卒業してからしばらくの頃でしょうか?)建物。当時、私が見たのはこんな感じの赤茶けた建物でしたが、明治時代に建築されたばかりの柳原銀行はこんなモダンな色合いの建物だったのですね。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2010/08/07