こくたが駆く

縁(えにし)の広がり感じた阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の碑法要

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阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)は東北地方の蝦夷(えみし)を率いて、坂上田村麻呂の率いる朝廷軍とたたかい、802年に処刑された人物で、東北の英雄です。

史料は多く残されていませんが、平安時代に編纂された「日本紀略」などに記されています。最終的には、朝廷軍が勝利しますが、坂上田村麻呂は、好敵手として戦った阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の力を借りて東北地方の安定化を考え、2人の助命を嘆願しました。しかし天皇の命で処刑されました。

いまから約20年前に、2人の功績をたたえるべきだと、関西岩手県人会、水沢・胆江会を中心に運動が始まり、当時京都市会議員だった私に相談がありました。

坂上田村麻呂が創建した清水寺に顕彰する碑を建てようというわけです。私は東山区選出の藤本貞子市議にも協力願い、岩手に縁をお持ちであった故・福岡精道師や、私自身が親交のあった大西真興師、森清範貫主にお願いに伺いました。曲折を経て、多くの方々の努力で顕彰碑が創建されたのです。

そして、今年が17回目の法要です。清水寺森貫主はじめ、奥州市長の小沢昌記さん、胆江日日新聞社長の佐々木隆男さん、そして坂上田村麻呂の出生地と伝承される福島県の田村歴史観光協議会の会長さんなど総勢115人の参加で盛大に法要が開催されました。縁(えにし)の広がりを感じました。

(写真は、関西アテルイの会の旗のお披露目です。私の右隣が奥州市長、そして森貫主、柏山喬会の副会長。紹介する佐藤耕吉代表幹事です。)

 

| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2010/11/14

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