こくたが駆く

JR福知山線脱線事故から2年

  本日4月25日は、JR西日本の福知山線の快速列車が脱線・転覆事故を起こし、107名もの尊い命が奪われた大惨事からちょうど二年にあたる。
 本日、尼崎市のアルカイックホールでおこなわれた「福知山線列車事故追悼慰霊式」には国会日程の都合で参加できなかったのだが、謹んでここに哀悼の意を表するとともに、事故の真相究明と再発防止に引き続き取り組んでいく決意を表明するものである。

 式典には秘書の小林さんに参加してもらった。
 遺族代表の下浦邦弘さん(息子・雅弘さんが代読)は、三男の善弘さんの最後を看取れなかったことを今も悔やみ、息子の最後の様子がどんな状況であったのかを今も追及し、乗っていたのが二両目の車輛であったことや、報道機関のビデオ映像から事故後二時間たって事故車両から救出された時点ではまだ生存していたことなどをつきとめたと語る。
 「もしも救出が早ければ、助かった命があったかもしれないと思うと無念でならない」と訴えた下浦さん「事故後『置き石の疑い』等の情報が流れたが、JR西日本にはそんなことをする暇があったら、救出を優先すべきではなかったのか?」とJR西日本への不満・憤りを述べておられたとのこと。
 まったくそのとおりだと思う。

 事故調の最終報告はまだだが、二年を経て、いまだにJR西日本が本当にあの事故を心から反省したとは思えない動きもある、二月に事故調が行った事情聴取での発言などはその典型だ。

 二周年を迎え、事故を風化させずいかにしてこのような事故を防止するか、まだまだ課題は残されたままだ。国土交通委員の一員として引き続きとりくんでいきたい。

 

| コメント (1) | トラックバック (0) | Update: 2007/04/25

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コメント

私の都合で書き込みが前後していますが済みません。この事故の1週間前に所用があって現場近くのJR山陽本線・加古川線に乗りました。都合で予定が遅れれば、飛行機を使って事故当日にあの快速電車に乗っていたところでした。
東京から寝台急行で出かけ、大阪駅で朝ご飯でした。道中、西明石駅では送れ1分の表示。おや?と思いながらも元鉄道員の私は大の鉄道好きで、運転席の後ろで前面展望を楽しんでおりました。西明石~姫路間で新快速電車の運転士は指差喚呼をしていましたが、「第4閉塞進行!1分30秒延(遅れ)!」と言いながら130㎞/h運転中に何と遅れ時刻をメモしているではありませんか!何と言うことをしているのか!!
ワンマン運転の加古川線では遅れを気にしていて、お婆ちゃんが買い物カートを電車に寄せて半自動のドアを開けようとしたら挟まれてしまい、私がドアをこじ開けて乗せてあげました。
私はよっぽど運転士に注意しようと思いましたが、もと鉄道勤めだった私は、万が一の事故の原因になってはいけないのでやめました。
群馬に帰ってきて、嫁さんにその話をして「こんなピリピリしているJR西日本は1ヶ月以内に大事故を引き起こすだろう」と言ったら、1週間後に体調を崩して共に病院へ行って待合室で見た映像を見て震えが止まりませんでした。嫌な予感が当たってしまって、あのような事故は2度と起こさないで欲しいです。

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