笑いあり、笑いありの「恋するお尻医者」渡辺元治さんを偲ぶ会
5日、京都市内で「恋するお尻医者・渡辺元治さんを偲ぶ会が開催されました。一周忌にあわせ、「恋するお尻医者」の出版を記念しての偲ぶつどいとなりました。私は小樽市の演説会のために欠席となりましたので、代理として秘書の神原さんが出席し、以下のメッセージを送りました。(《続きを読む》欄に全文)
本の帯には「涙あり、怒りあり、笑いあり。お尻の穴から社会を見続けた町医者の心意気」とありますが、会場は「笑いあり、笑いあり、笑いあり」だったとのこと。写真は、元治さんの好きだった「わが母の歌」をひまわり合唱団のみなさんが合唱されているところです。
小樽での演説会のため欠席をお許しください。
お通夜において「赤旗の歌」で渡辺元冶先生を送ってから、はや一年が過ぎようとしています。公私ともどもお世話になったことに、あらためて御礼申し上げます。
先生と私のお付き合いは、1978年、斉藤悦子さんの市会議員選挙から始まりました。激励の宴を「鳥岩楼」で設けていただきました。日本共産党の候補者を心底応援する姿に接したのです。
先生は、居住する学区での日本共産党後援会事務所開きなど、どんな小さい催しでも参加されました。そこには、草の根で奮闘する同志たちに、心を寄せる先生の人柄が如実に示されています。
会合の場での、エスプリに富むお話が楽しみの一つでした。ユーモアにあふれた訴えは、心に染みいるものでした。物事の本質を衝き、わかりやすくするための数々の工夫の結果であることを知ったのはしばらくしてからでした。
反戦平和、憲法を守り抜く強烈な意志は、先生の諸活動を貫くバックボーンでした。
肛門科の“町医者”である先生には、常に患者の暮らしへの暖かい思いやりがありました。社会保障・福祉の活動はもちろん、音楽・文化活動も熱心でした。
「民衆の旗赤旗は・・・」の歌にあるように、民衆をこよなく愛し、民衆のための政治を願った現代の「赤ひげ」でした。
いま、先生の存在の大きさをかみしめています。幸いにも、肛門科は三代目の賢治先生が継いでおられます。“堀萬”での食事を何度かお誘い受けながら、果たせなかったことが心残りです。
私たちは、先生の遺志を引き継ぎ、来るべき地方選挙と、国政選挙で日本共産党の勝利のために奮闘します。そのことが先生への最大の供養と確信するからです。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2011/03/08