随筆家・岡部伊都子さんを偲ぶ集いが、旧岡部邸で開催。参加者一同。「志を受け継ごう」と決意
岡部伊都子さんが亡くなられてはやちょうど三年。本日、京都市北区の旧岡部邸で、「伊都子さんを偲ぶ集い」が開催されました。残念ながら私は出席できず、秘書の神原郁巳さんに代理で出席してもらいました。
随筆家の岡部さんは1923年生まれ。1954年からラジオ放送のための「四百字の言葉」で文筆活動を開始。日本の伝統や美術、自然、歴史などに細やかな視線を注ぎつつ、戦争や沖縄、差別、環境などの問題を鋭く追及する姿勢は終生変わることがありませんでした。以下は神原氏の報告です。(写真は上田正昭京大名誉教授の挨拶の場面)
岡部さんの著作を16冊出版された藤原書店の藤原良雄社長(元参議院議員・西山登紀子さんの横で岡部さんの写真をもって挨拶)が「私の命のある限り、岡部さんの志を受け継ぐためにも、毎年偲ぶ集いを開催したい」と開会の挨拶。
上田正昭氏は、「岡部さんが40年余前に京都に来て以来のつきあい。ヒトに優しく、自分に厳しい人だった。『本は人なり』というが、文章が良くても人物に問題のある方も多いが、岡部さんは、本当に『本は人なり』の人だった。彼女の志を継いで、そのともしびを継承したい」と述べられました。
また、歌手で、岡部さんの最後を看取り、歌を聞いてもらったという歌手の李広宏さんが「岡部さんの最後の手のぬくもりがまだ残っていますと」と岡部さんの好きだった「夏の思いで」「月は我が心」「千の風になって」などを熱唱されました。
ちなみに7月16日には李さんの「東日本大震災チャリティーコンサート 歌でつなぐ心」がカトリック夙川教会(兵庫県西宮市)で開催とのことでした。
会場では、岡部さんの随筆「生かされている今」が朗読されました。阪神淡路大震災の直後の随筆ですが、「阪神に原発がなくて本当に良かった」と地震の多い日本に原発を推進する問題を追及。まさに今日の有り様を見通した鋭い指摘です。また「高速増殖炉もんじゅ」の危険性にも言及されていましたが、もんじゅの事故は岡部さんの随筆の8カ月後に起こってしまいます。
会場では33名の参加者が一言発言。多くの方が原発問題に触れられたということで、神原さんは、「こくたが国会用務で参加できませんでした」と報告した上で、「学生時代に原子核物理学を学んだものとして、原発推進の人は『それならロウソクで暮らすのか』と原発の批判をする人に反論していた。岡部さんの本は、その原発かロウソクかの中間点で、エネルギーは浪費しないが文化的な暮らしというものを示していたのではないか。そこに岡部さんの今日的な意味の一つがあるのではないか」と述べたとのこと。
また、神戸文学館では、昨日から6月26日まで「花あかりのひと 随筆家・岡部伊都子展」が開催されているとのことでした。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2011/04/29