生誕120年 河井寛次郎展をじっくり鑑賞//2011年度第一次補正予算代表質問その一
いま、京都高島屋グランドホールで、河井寛次郎展「生命の歓喜」が開催されています(5月5日まで)。
毎日新聞と京都新聞の共催です。昨年生誕120年を迎えた河井寛次郎氏は、1890年(明治23)に島根県安来に生まれ、1913年から京都で働きはじめ、1920年に京都市東山区の「五条坂」近くに自宅を建て増した。そこがいまの井合寛次郎記念館です。何度か通わせていただきました。
写真の私の左後ろに「生涯、一陶工。」とあるのが見えるでしょうか。河井さんは、人間国宝も文化勲章も断り、生涯無位無冠を貫かれました。今回の「生誕120年」を記念した「生命の歓喜」展は、すでに東京・大阪の高島屋で開催され、京都高島屋の次には名古屋高島屋(5月19日から29日まで)で開催予定です。
今年は高島屋創業180周年にあたるそうですが、高島屋社長の鈴木弘治さんは、「その180年の歴史の中で河井寛次郎という希有な才能に出会う機会に恵まれましたことは、大変な幸運でした」と1921年の「第一回創作陶磁展覧」以来の河井氏との結びつきを紹介されています。河井寛次郎氏を育てた一面がありますね。
「生命の歓喜」展は、「1 技」「2 暮らし」「3 交わり」「4 生命」「5 造形」「6 祈り」の6つのキーワードで河井寛次郎の実像に迫るという企画で、改めて河井さんの足跡を振り返ることができました。河井寛次郎氏記念館に所蔵している作品だけではなく、たくさんの作品を鑑賞することが出来ます。
質問に入る前に、東日本大震災で犠牲となられた多くの方々に哀悼の意を表します。
いまなお不自由な生活を余儀なくされている被災者の皆様に、お見舞い申しあげます。また、困難な中で被災者救援・地域の再建のために全力をあげておられる皆様に、敬意を表します。
《避難生活の改善は急務中の急務》
まず、一刻も待てない避難生活の改善です。
地震発生から一カ月半以上が過ぎましたが、依然として一万一千人以上の方々の安否が確認されておらず、わかっているだけで十三万人を超える被災者が避難生活を強いられています(二十六日現在、警察庁調べ)。
巨大地震と大津波から助かった命を失うことがあってはなりません。
水道や電気が復旧していないばかりかトイレがあふれている劣悪な環境の避難所がいまだに放置されています。一カ月半以上経っても、温かい食事がない、一度も風呂に入っていない、間仕切りがまったくない、医師や保健師の巡回もない、あっても十日に一回程度など、人間らしい生活にほど遠い極めて深刻な状態が続いています(四月二十二日被災者生活支援特別対策本部)。
感染症の拡大が危惧され、長引く避難生活のストレスの影響も懸念されています。自治体も被災し、その機能の一部を失いながら努力していますが、その自治体にただ「要請」するだけでは、対応しきれないことは明らかです。具体的な避難所を特定し、被災自治体と連携して国が責任をもって課題を解決していくことが必要ではありませんか。明確な答弁を求めます。
被災者に人間らしい生活を保証するためには、避難所から一刻も早く仮設住宅等へ移ることができるようにすることが求められています。希望者全員が入れる仮設住宅の建設を大規模かつ早急に進めなくてはなりません。そのためには、公有地の提供はもちろん、民間用地の借り上げ、民間住宅の借り上げ、可能な場合は個人の宅地内への建設など、考えられるあらゆる手立てを尽くすことが必要です。答弁を求めます。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2011/05/03