「消えた年金」問題。必要なのは「救済」ではなく「謝罪」と「補償」
昨日のテレビ出演後、ただちに新幹線に飛び乗って京都へ。12時前には京都駅に到着し、
京都市内を駆けめぐる。
写真は、四条通の京都信用金庫前。
さっそく「宙に浮いた年金」問題で「そもそも『救済』という言葉が間違っている、
記録が宙に浮いてしまった事について国民の側には全く過失はない、政府から国民への『謝罪』と『補償』の問題だ」
と政府の対応をきびしく糾弾しているところ。
京都駅に着いて真っ先に向かったのは四条大橋西詰めの「東華菜館」
日本最古の電動エレベーターが設置された立派な洋館である。
毎年、この会場で下京料飲組合の総会が開かれて、毎回参加しているのだが「今年は着物じゃないんですねえ」と声をかけられた、
みなさんよく憶えていただいてるようで
次に向かったのは、木村万平さんの出版記念パーティー。
京の町を開発による景観破壊から守る住民運動のリーダーとして長年にわたり活躍、
89年の京都市長選挙ではオール与党陣営にに321票差までつめより惜しくも敗れはしたが、
今日の京都市景観保護条例につながる運動を引っぱって来られた偉大な先達である。
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| Update: 2007/06/04
コメント
相変わらず忙しいですね。
こくたサンと一緒に選挙をしてからもう、何年になるのかなぁ。
今や押しも押されぬ国会対策委員長。
また、参議院選挙頑張ります。
投稿者: 浅井寿子 | 2007年06月05日 17:14
浅井寿子さんありがとう。西山とき子さんの選挙からではないでしょうか。
あのときの思いは、89年の参院選挙、90年の衆院選挙都に連敗したあとの闘いでした。
京都の支持者・後援会員、党員が一丸となって雪辱を期しての選挙戦でした。暑さの夏も、雨の日も、風の日も、雪の日も歯を食いしばって頑張りぬいた思いをぶつけ、京都の底力を発揮した闘いでした。今度の参院選もそんな思いで頑張りたいものです。
投稿者: 恵二 | 2007年06月12日 22:27