こくたが駆く

与謝野町産業振興会議の寺島節郎会長と懇談//日本共産党の先達、河田賢治さんの墓前に誓う!

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24日、与謝野町での日本共産党演説会に先立って、与謝野町で住民参加のもと産業活性化の活発な議論をされてきた「与謝野町産業振興会議」の寺島会長と懇談しました。懇談には、吉田さゆみ京都5区予定候補、野村生八与謝野町会議員が同席しました。写真の右端が寺島さんです。

同産業振興会議は、1月27日に「与謝野町中小企業振興基本条例の制定について」の提言書を提出。この提言を受け、与謝野町の3月定例議会で「中小企業振興基本条例」が全会一致で可決されました。

条例可決までの奮闘ぶりをお聞きするとともに、産業活性化に今後、何が必要かの意見交換を行いました。

地元の金融機関にも協力を求めたところ、「本来私たち自身が、生き残りがかかっており、自分たちで、地域経済の活性化について議論すべきでした」などの発言とともに協力が得られたことなど貴重なお話を伺うことができました。

私も、「帯広など、条例制定とその後の実践等を関係者からお聞きするなど、多くの地域での中小企業振興基本条例についての取り組みを学んできました」と述べ、それぞれの積極面を紹介しました。また産業活性化にかかわって地元西陣での取り組みも報告しながら、今後に必要な点などを議論することができました。とても有意義な懇談となりました。

私は、DSCN6312会場の旧岩滝町出身で日本共産党の先達、河田賢治さんの墓前に日本共産党躍進を誓いました。

河田さんは1900年生まれ、1968年、68歳で参議院京都選挙区に立候補し、2人区で当選。京都での日本共産党の躍進の礎を築いた大先輩です。立命館大学の三回生で選挙戦を闘い、勝利に奮闘したことを今でも誇りにしています。当時、河田賢治さんは京都府委員会の責任者でした。演説では「ご承知のように」と語り始める独特の語り口、学生の主催する会合にも気さくに登場してくれたものでした。立会演説会にも出かけたものです。京都における躍進、「日本の夜明け前は京都から」の体現者でした。

吉田さゆみ京都5区予定候補、野村生八与謝野町会議員とお参りしました。(写真は、河田賢治さんのお墓。墓標に刻まれた「河田賢治」の字が見えますやろうか)

 

| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2012/03/26

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