「中島武敏さんをしのぶ会」に参加
21日、東京板橋区文会館で開かれた、日本共産党元衆議院議員の「中島武敏さんをしのぶ会」に、日本共産党国会議員団を代表して参加しました。
中島武敏さんは、さる3月21日に逝去されました。享年84歳でした。中島さんは、1972年に旧東京9区(板橋・北区)から初当選。以来7期21年余の間、衆議院の予算委員会理事、建設委員、運輸委員などを務めました。
私は「中島さんに、初めてお会いしたのは1987年の京都府会議員補欠選挙でした。京都府知事選挙と同時に行われた選挙、初めて立候補した私の応援演説を北大路烏丸でしていただきました。
偉丈夫ながら、黒縁のメガネの奥にある優しいまなざしが忘れることできません。
衆院議員としてご一緒した時は、国対委員長のなり立ての私に「肩を張らず、ある意味気楽にやんなさい」との励ましも良き思い出です。
中島さんは耐震偽装問題では、一番最初にテレビのインタビュ―放映されました。建築の安全に関わる規制緩和を厳しく追及した議員だからこそでした。
アクアラインの談合追及では、6工区で全部同じ99・8%の価格で落札して入りことを明らかにし、朝日新聞にその追及が報じられるほどでしたと活躍くの一端を紹介し、庶民的な人柄が愛され、下町・板橋・北区の本当の代表でしたとあいさつしました。
小池晃参院議員・副委員長も、初めての医師として勤務の地板橋、中島さんの選挙戦の様子を述べました。
この会には、当時衆院議員で、東京6区に不破哲三氏、8区の金子満広氏も参加し、思い出・秘話を語りました。
特に東大における「ポポロ事件」の、中島さんの関わった一幕は不破さん自身が初めて語ったというものでした。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2013/09/21