清水寺で「阿弖流爲・母禮の碑」の法要。あわせて東北大震災の犠牲者への慰霊と復興を祈る
9日、清水寺で20回目となる「阿弖流爲(アテルイ)・母禮(モレ)の碑」法要が森清範清水寺貫主によって執り行われました。
アテルイとモレは、平安時代に朝廷の侵略から東北地方の自治を求めて立ち上がった「北天の英雄」です。
その時対峙したのが清水寺を創建した坂上田村麻呂公です。
思えば、私が京都市会議員の時でした。
「アテルイ・モレの碑を清水寺に建てることはできないか」との話が関西胆江会(岩手県の水沢市、江刺市、胆沢郡等の出身者で構成)からあり、清水寺との話し合いをはじめ、奔走しました。
清水寺の好意で実現しました。以来碑法要を重ね、今回が20回目、感慨もひとしおです。
私は、その当時の経過のさわりを紹介しました。
森貫主は、アテルイ・モレを慰霊し、同時に東日本大震災被災地と被災者の復興を祈念する読経をしました。
今回は、青森県からも、今年4月に発足したばかりの青森音羽会のみなさんが初めて参加されるなど、東北との縁の広がりを感じることができました。
また、坂井輝久清水寺学芸員から、重要文化財の西門(さいもん)のお話を聞くことができました。極彩色で西方を正面とした不思議な建物。
実は平安末期の「西方浄土」の思想から京の西山に沈む夕日を拝むための「舞台」であったとのこと。
京の紅葉はもう少し先のようですが、清水寺の紅葉も、色づき始めました。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2013/11/09