五山の送り火と第二次世界大戦
今日は、午後から東京でTV朝日系列の特番の収録(明後日の18日13:55~放送の 「クリームシチュー・上田晋也の『日本の宿題』」、詳しくは明日報告します)収録終了後、新幹線で京都へ戻り、 五山の送り火を観賞した。
京都民医連・北病院や、同じく待鳳診療所、党北地区委員会事務所などの屋上を駆けめぐり、あつまった皆様にご挨拶。
いつもは浴衣姿だが、今日は東京から直行なので堪忍してください。
北病院には久しぶりに行ったのだが、入院患者(利用者)さんやそのご家族、 職員さんたちなど70人ほどが集まり、点火を待つ間に、 ジュース、アイスクリーム、たこ焼きがふるまわれた。 バイオリンの演奏があったりとなかなか楽しい企画であった。
職員さんの粋な計らいで私にもマイクがまわってきたので「五山の送り火は、室町時代から毎年続いている、 京都人にとっては大事な盂蘭盆会の魂送り(たまおくり)の行事です。この大事な行事が3年間だけ中断した時期がありました、 1943年~45年、第二次大戦の末期、担い手の若者が戦争にとられ灯火管制がひかれる中、夜ではなく昼間に、 当時の国民学校の児童が白い布もって山に登り人文字で『白い大文字』に置き換えたのです。あらゆる物事が戦争優先になる時代でした、 そんな時代を二度と繰りかえしてはならないという決意でがんばります」と、ご挨拶をさせてもらった。
| コメント (0) | トラックバック (1) | Update: 2007/08/16