清水寺で「第21回 阿弖流爲(アルテイ)母禮(モレ)之碑」法要。//『鹿踊り』『鬼剣舞』が奉納されました。
アテルイとモレは、現在の岩手県奥州市(旧水沢市や胆江地域)周辺を本拠地とした蝦夷(えみし)で、平安時代に朝廷の代表征夷大将軍坂上田村麻呂と闘った「北天の英雄」です。
関西胆江会などの熱心な取り組みと、田村麻呂公が創建した清水寺のご厚意で、寺内に1994年に碑が建立されました。その際に私も奔走しました。
以後毎年11月の第2土曜日に、碑前にて清水寺の森清範貫主をはじめ僧侶と、「アテルイ・モレの会」の会員が、碑前に集い顕彰と慰霊供養の法要を執り行っています。
今年は11月8日、建立20周年ということで、盛大な碑前祭が行われ、鹿踊り、鬼剣舞が奉納されました。
残念ながら全国遊説のため、和歌山に行かなければならず参加することができませんでした。秘書の吉田さんが代理として参加しました。
以下は、吉田さんの報告です。
法要前に、清水寺仁王門横広場で、『鹿踊り』『鬼剣舞』が奉納されました。『鹿踊り』は、岩手県奥州市の指定無形文化財で、各地に保存会があり、年に2回から3回は、100名で舞うそうです。
鹿の角は本物、衣装も荘厳なもので、その勇壮な舞に、東北の人々の力強さを感じました。
碑が建立された時のお話を聞いて、ふるさとを愛する思いの強さに感動しました。大阪生まれ、京都在住の私にはうらやましい!
森清範貫主の法話も壮大でした。「本堂には300年のケヤキが168本使われている。その木は380年経過、計700年近い木が清水寺を支えていることに毎日感謝をし、木に話しかけている。清水寺を次の世代に引き継ぐためには300年先を見据えて木を植樹し、1000年のスパンで考えなければならない。国を支えるのは政治と経済だが、その根本には文化がある。文化と伝統は繊細なもの、意識をして守り受け継がなければならない。お寺では『伝統』を『伝灯』と表する。灯は新しい油を注がなければ消滅をする。」との話しに、壮大な未来を見据えて歴史を繋ぐ一員として頑張らなければ!の思いを強くしました。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2014/11/09