こくたが駆く

上田耕一郎さん(日本共産党元副委員長)の死去にあたって

 元参議院議員の上田耕一郎さんが、10月30日、慢性呼吸不全のため死去しました。
 心から哀悼の意を表します。

 私が、国会対策委員長になったときは、参議院議員で国会議員団総会副会長として、大所・高所から親身にご援助をいただきました。
 豪放磊落な中にも、一人一人の議員を大切にする心配り、気軽に何でも相談に応じる気さくな方でした。 ですからマスメディアからも愛されました。
 党議員団の障害者問題の責任者を長くつとめて、尽力されました。
 日本共産党の論客として、国会論戦の先頭に立ったことはご承知の通りです。田中角栄の金脈追及、ロッキード疑獄、 信濃川河川敷疑惑問題では他の追随許さないものでした。


 私にとって印象深いのは、学生時代から「上耕(うえこう)」「不破哲(ふわてつ)」(日本共産党前議長の不破哲三さんは実の弟さんです) と称して、日本共産党を代表する理論家であったことです。民主連合政府綱領の提案などは、素晴らしいものでしたし、 胸がワクワクしたことを今でも忘れません。
 厳しさに接したのは、歪んだ同和行政をただす上で、部落解放同盟の無法と断固として闘い妥協を許さない態度でした。

 常任幹部会員の一員として、憲法改悪反対闘争本部長として「九条の会」の発足などに力を尽くされたことを、目の当たりにし、 この会の発展と、憲法を守りぬく運動に私も全力をあげます。
 日本共産党の総選挙での前進を誓います。

 

 

| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2008/10/30

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kokuta-keiji.jp/mt/mt-tb.cgi/1020

コメントを投稿

(コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になります。承認されるまではコメントは表示されません。すぐに表示されないからといって何回も投稿せずにしばらくお待ちくださいますようよろしくお願いします。)