こくた恵二のこだわりエッセー

京都民報 5月13日号

 四月二八日から三〇日にかけて、超党派の日中友好議員連盟(高村正彦会長が団長)の一員として訪中。短期間ではあったが、 温家宝首相、唐家セン国務委員、武大偉外交副部長らと会談するなど密度の濃い交流をおこなった。

 日中間の相互交流の促進とその基礎は何か、日中首脳会談合意事項の実行について、国際平和と6ヵ国協議、 戦後政治と歴史認識などが議論の中心であった。

 私は、日中両国国民の友好を発展させるには、歴史認識で過去に目を閉ざすことなく侵略の事実を心に刻むこと。 朝鮮半島の非核化は北東アジアの平和と安定に決定的であり、6ヵ国協議で中国が果たしている役割への敬意と今後への期待。 国連憲章にもとづく平和秩序の追求など積極的に発言した。

 「首相が野球をした立命館大学は私の母校です。首相はサウスポーいわゆる“左利き”私ども日本共産党は通常“左翼”と呼ばれている。 同じ左です」(私)、「左の同志ですね」(首相)に一同大笑い。唐氏は「古い友人は『和服』という日本の古い文化を携えてやってきた」 と紹介、私が「伝統文化のまち・京都ですから」と述べると、すかざず「古い都の代表ですね」と軽妙なやりとりの一幕も。

 中国側から、戦後の日本の成功の原因は平和的発展を堅持してきたこと。平和的手段で紛争を解決し“調和のとれた世界”をめざすこと。 歴史認識は交流の政治的基礎であるなどの意見表明があった。熱っぽい議論の後は、友好・ 交流を一層深めようと杯を重ねたことは言うまでもない。

 

| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2007/05/13

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