「3・15事件」の日に思う
3月15日は、1928年に日本共産党が治安維持法違反などの容疑で弾圧受けた日である。世にいう「3・15事件」である。
この日、私の地元の京都新聞は、第一面のゴラムで、3・15事件を取り上げて論じている。(写真参照)
3・15日本共産党弾圧事件の当日に、このようなコラムを載せることは、秘密保護法反対の論陣を張った地方メディアの健闘ぶりをあらわしており嬉しいかぎりだ。
短かい文の中で、治安維持法、山宣の活動、信州上田の気骨、山宣、タカクラ・テル、斎藤房雄(名を記していないのは残念)三氏の友情、碑をめぐる経過と今日の危険な政治情勢への警鐘と地方新聞ならではの論及かと思う。
元旦に、京都の山宣の碑に詣でる私にとって、惜しまれるのは、碑を隠し通した、「旅館主人・斎藤房雄」と記述していないことだ。
後年、コラムが書くように、山宣、タカクラ・テル、斎藤房雄の三人の碑は仲良く安楽寺に建立されている。
なお、プロレタリア作家・小林多喜二は、この事件を題材に「一九二八年三月一五日」を上梓した。特高による弾圧の様を鋭く告発した。
いま安倍政権は、憲法九条を亡きものにし、戦争する国への道を暴走しはじめている。これを断じて許してはならない。
「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持しているから」の最後の言葉は、私たちに限りない勇気を与えている。「暴走ノー」は国民多数の声である。
山宣最後の言葉を飾っている日本共産党議員団の一員として、私は闘い抜く決意である。
| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2014/03/16