こくた恵二のこだわりエッセー

岡部伊都子さんを悼む(京都民報6月8日付け)

 5月31日「岡部伊都子さんを偲ぶ会」に出席した。岡部さんの婚約者であった木村邦夫さんの妹さんは「今日は、 亡くなった兄の命日です」と述べた。「ああそうだったのか」と、実行委員会の思いやりに心を打たれた。

私は、北区出雲路に居を構えておられた折に何度かお訪ねした。

 愛する人が、戦争への疑問を打ち明けたとき「私なら喜んで死ねる」と口にして、戦場に追いやった自分を「加害の女」とよび、 責め続けた。木村さんの写真を見せて頂いた。反戦の姿勢を貫き、命を踏みにじるものへ憤りを発する原点だったのだ。

私は、岡部さんの親しき方々と語らって、しんぶん「赤旗」にエッセイを寄稿してもらうことにした。橋渡しの役目を果たせたのは、 二〇〇四年の夏の終わりだった。

 文化欄への「みみず鳴く」と題する連載がそれである。「私が自分を土のなかをもぞもぞと、 もがきよろけて這っているみみずと思っている」と自らをみみずに託し「いのちある存在のよろこび、悲しみ」と記して、 命と生きることの大切さを説いたのである。

 エッセイは、連載7回をもって突然終わった。「病気になっても書ける間は書きたいと思っていたのですが、ペンを持てなくなったら、 もうおしまい」『冬の蝶』という題で予定していたが、私が冬の蝶になった」と“さようなら”の弁を述べた。

 私は、「まだ続きが読みたいんです、『冬の蝶』の話もいつか期待してます」と電話した。岡部さんは「ごめんなさい、ありがとう。 またビールを飲みに来てください」とだけ語った。今となれば悲しい思い出である。

 

| コメント (0) | トラックバック (0) | Update: 2008/06/08

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