衣笠・金閣民報「左大文字」1月号
1月17日は阪神・淡路大震災被災10周年である。 昨年暮、清水寺の森清範貫主は「一年の字」として、「災」を記した。この行事が始まったのは10年前の95年「阪神・淡路大震災」の年であった。そのときの字は「震」であった。10年間をまとめると「震災」となる。 森貫主は「災い転じて福となす、いい年になってほしいという心が潜んでいる」と話されていた。その通りだ。福となす希望が託されているのだ。 私は、何よりも震災の経験を風化させてはならないと考える。「朝日新聞」の調査によれば、「被災小企業の6割が、震災の影響が残っている」と報じている。多くの被災者は生活と精神面でも震災の痛手から回復していない。“生活復興いまだし”だからこそ風化させてはならないし、生活の立て直しは依然として課題なのである。 昨年の台風水害、中越大震災を経て、国の責任による被災者に対しての個人補償を制度として確立することの緊急性がいよいよ増している。 住宅本体の補修・再建を対象にする被災者生活再建支援法の抜本的な見直しを早急に行うべきである。今年の通常国会の冒頭から法案を提出して実現を期したい。 災いを少なくすること、被害を和らげることは政治の中心的仕事ではないだろうか。庶民の願いがそこにある。 災害を通して政治のありようが見えるのである。被災者を救えずして何の政治か? 防災を強化せずして国家といえるのか。大震災以来、被災者支援の市民・議員立法で一緒に活動してきた作家の小田実氏は、「人間の国」を提唱してきた。 災害に強いまちづくりと、防災体制の強化で安心・安全の日本をつくることを、予算の中心にすることは当然ではないか。 この10年がけ崩れの危険が高い“急傾斜地”が増えているのに、その対策費は減る一方。ダムの建設は熱心だが、河川堤防の改修、補修費もまた減じている。住宅の耐震改修への国の取り組みの遅れ。 この政治の方向を転換することが、「災い転じて福となす」ことではないだろうか。 「人間の国」を目指して頑張りたい。
(Update : 2005/02/02)
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