憲法を「守り、生かそう」
「憲法を暮らしの中に生かそう」このスローガンは、かつてニナ川民主府政が、京都府庁に垂れ幕として掲げ続けた。
私は、今ほどこのスローガンが大切なときはないと思う。
暮らしが、福祉が、社会保障が削られ、「小泉構造改革」という名の下に耐えざる「痛み」として国民に強要されている。
規制緩和、市場原理、自立自助とかを声高に叫ぶ側の“理念”とはいったい何だろう。
時代の進歩に逆行する「弱肉強食」でしかない。この浅薄さを見抜かねばならない。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」「国は…社会福祉、社会保障…向上に努めなければならない」憲法25条こそ、戦後民主主義が打ち立てた基本的人権としての生存権、社会保障の考え方なのである。
世界に誇るべき理念がここに結実している、高々とこの理想を掲げようではないか。
これを実現しようとする意思が「暮らしの中に生かす」ことであり、一歩一歩前進させるのが我々のめざす政治である。
自民党の改憲試案は、国民に「社会保障負担の責務」を課そうとしている。つまり、改憲勢力は、平和の9条を標的にしているだけではない。生存権を否定しようとしている。
憲法の平和の9条と生存権の25条がいま、せめぎあいの焦点なのである。憲法を「守り、生かそう」
私は、憲法が施行された時に生を受けたが故に、“憲法世代”と自認している。
憲法世代の代表として、各地の「九条の会」の運動と手を携え、スクラムを組んで頑張る。
日本共産党和歌山県後援会機関紙「ぐるっと紀州路5月号」
(Update : 2005/05/01)
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