こくた恵二の着流しエッセー(第2回)京の原風景
ガチャーン、ガチャーンと力織機の音、カッチャンコ、カッチャンコと手機の音。北区の待鳳学区や柏野学区などでは、いまでも機音が聞こえる。学生の頃、担当であった北区や上京区でのビラまきで、夕方にろうじを歩くと喧騒に思えた。豪華な西陣織の営みを知らなかった。
出町柳付近は友禅流しによって、鴨川の色が赤や青に染まっていた。珍しかった。デートか友人との彷徨か定かではないが、土手沿いを歩いていた。何のことかわからなかった。
轆轤(ろくろ)と絵付け、繊細な仕事に驚いた。大八車を引いて、大学での「不戦の集い」のバザーに出す清水焼をもらいに行った時だ。
いまでは懐か威思い出だ。京都(みやこ)の音と色、職人の技を間近に見た最初であり、私にとっての京都の原風景だ。
西陣織、京友禅、清水焼いずれも多くの工程を経て完成品となる。京都は分業のまちであり、職住一体のまち、地場産業が成り立っているまちなのだ。
1970年代、田中角栄内閣の「日本列島改造論」が吹き荒れ、工業再配置促進法という西陣追い出しの法案が提出されたとき、谷口善太郎(日本共産党衆議院議員)を先頭にした国会での闘いと業界と地域ぐるみの「地場産業守れ」「まちを守れ」の運動によって撤回させたのである。西陣と町衆が勝利した。
以来、京都が京都であり続けるためには、町並みを守ること、地場産業守ることが一体のものとして取り組まれた。
“日本の心のふるさと”・京都がかもしだす、美しい自然とまちの調和は、伝統地場産業の人の営みがあってつくられ、町衆の運動で守られ続けた。
その共同の輪の中で一貫して私心なく奮闘してきたのが日本共産党である。
1923年1月、清水焼の谷口善太郎、西陣織の国領五一郎らによって京都の共産党は産声をあげた。伝統産業の中から日本共産党は生まれ、発展した。
谷善、国領を継ぐ私どもは、京都の原風景を守りたいのである。
吉祥院後援会ニュース「ねぎぼうず」8月号
(Update : 2005/08/22)
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