尖閣諸島を視察
昨晩、衆院国土交通委員会の委員派遣で石垣島に来た。これから、尖閣諸島の視察に向かう。視察報告は東京に戻ってからということにして、尖閣諸島に向かう前に、この島に対する基本的な問題と日本共産党の考えをまとめておきたい。
尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の五島と、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬岩の三岩礁からなり、面積は5・56平方キロメートルで、甲子園球場の約百四十個分の広さ。近年、海底油田問題などが取りざたされるなかで、尖閣諸島の領有権をめぐり、中国や台湾と日本の間で紛争が起きている。 尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くから日本と中国の双方に知られていた。1885年(明治18年)以降、日本政府は再三にわたり現地を調査し、これが無人島であるだけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認のうえ、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行ない、日本の領土に編入、その後、日本人が居住して、かつお節工場がつくられるなど、日本が実質的に支配してきた。
この時期が日清戦争(1894年8月〜95年4月)と重なっていたことから、中国は、日本が戦争に乗じて尖閣諸島を不当に奪ったと主張している。しかし、尖閣諸島の編入は日清戦争とは無関係であり、不当な領土拡張ではい。 日清戦争終結のための日清講和条約(1895年4月)は、台湾・澎湖諸島の日本割譲を決め、これは日本側の不当な領土拡張ではあるが、このなかに尖閣諸島は入っていない。交渉過程でも尖閣諸島の帰属問題はとりあげらなかった。 1945年、日本の敗戦により、カイロ宣言およびポツダム宣言にしたがって、台湾と澎湖諸島など日本が中国から不当に奪った地域は中国に返還されたが、尖閣諸島はこのなかに含まれず、中国側も日本のポツダム宣言の受諾当時、尖閣諸島を要求していなかった。
これらの事実から、尖閣諸島の領有権が日本にあることは明らかであるが、1971年以後、中国も領有権を主張している。 日本共産党は、1972年3月、「尖閣列島問題にかんする日本共産党の見解」を発表そ、尖閣諸島が日本の領土であることを明らかにした。日本共産党は、歴史的経過や国際法上の諸関係についての研究にもとづき、同島の領有権は日本にあるとの見解を示した。その後明らかになった歴史的資料に照らしても、当時のこの見解を訂正しなければならないような問題点は現われていない。 今、日本の外交に問われていることは、あくまでも平和的解決を基本としつつ、粘り強い話し合いを通じて、尖閣諸島にたいする日本の領有権を明確にする努力を強め、解決することが必要であると考える。
(Update : 2004/11/17)
|