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中越被災地からの報告2 新潟県中越大震災被災地を訪問し、多くの方々と懇談しました。それを通じて行政の活動や、矛盾・困難、医療機関の努力、被災の実態、住民の思いなどを深くつかむことができました。今後の復興支援活動に生かしていきます。 仮設住宅に入ると災害救助法に基づく応急修理制度の適用が受けられないという法制度、執行するものとしても矛盾としか思えない。田舎では住家だけでなく、暮らしていく上で不可欠の農作業小屋、車庫の非住家も大きな被害を受けている。これへの支援対象に。(川口町) 「建築基準に合致している」と、家の建設を許可したのは行政。ところが想定外のことが起こり、損壊した。それを直すのに補助するのは、「そこに家を建てて良い」と許可した側としては当然の責任。 家のなかには住めない、村へは帰れない。田んぼが出来ない、どれほど切なかったか。父さんはしょんぼりしてたが、農道が開いたと聞いたら、「作付けできるかも知れん」と突然元気になった。自分の仕事をやれるということが生きること。(法末営農婦人) “皆で山古志村に帰ろう”生まれて死ぬところやと心で思っています。この空間でしか住んでいけないのです。90%以上の村民が村へ帰りたいとの希望を持っています。帰れるまで、人間味ある支援をお願いしたい。(山古志村) 「住んでる人達が生きていけるようにするのが行政の仕事」「災害復旧のため市の単費支出が続き、財政的にもたなくなっても、住民のための仕事で使ったのだから、開き直ってやるしかない。顔を住民に向けるのか、国に向けるのかだ」(栃尾市) 被災の日、多くの医師・職員が急を聞いて、かけつけてきた。停電、余震のなか219人の入院患者全員をけがなく避難させることができたし(地元紙新潟日報の11月15日付けに掲載されています)免震の老健施設は被害がなく避難所として役立った。 老健施設が被災者の受け入れの拠点となった点やケア・マネージャーの活動は被災者の支援に力を発揮した。診療所も地域のセンターとしての活動に県から感謝状をいただいた。 (Update : 2004/12/17) |
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