2.6京都一区演説会、その7
7回に分けて2月6日の演説会の原稿を掲載させていただきました。長いことお付き合いいただいた皆様、ありがとうございます。今回で最後になります。
V、自主外交への転換を。一人日本共産党だけの意見とは違う 野党でもこれだけの活動ができる。日本が本当に平和外交に転換したら21世紀楽しく明るい展望が開けるのではないでしょうか。 日本共産党は、日本外交を次の四つでおおきく転換します。 @紛争を解決するさいには、話し合いによる平和解決。国連憲章の平和秩序を守る。 Aアジアに生きる国として、アメリカ外交偏重、アジア外交を日本外交の中心にすえる。 B日本国民の立場に立ち、道理によって世界に働きかける自主・独立の外交を築く。 C侵略戦争と植民地支配への反省を、アジア外交にとりくむ大前提として内外に明瞭に。 この考え方は私どもだけではありません。昨日、毎日新聞に寄稿していましたが、寺島実郎氏は「21世紀日本外交にふさわしい制度設計を根底から再構想すべきではないか。その際、見失ってはならない要件は以下の三点であろう。一に憲法の平和主義の精神に合致し、国民の多くの合意が得られる国際貢献であること、二にアジアの目線からも理解と共感が得られ、軍事力志向と誤解されるものでないこと、三に米国の覇権主義と一線を画するものであること」三井物産の戦略研究所、財界シンクタンクの所長である寺島氏も、自主外交を訴えておられるのです。
北朝鮮問題でも一言 私ども日本共産党は、北朝鮮との関係でも断固とした対応をすべきであるということを明らかにしています。 日本共産党は、拉致問題について国会で最初にとりあげて追及しただけにとどまらず、北朝鮮の国際的な無法行為について厳しい批判の立場をとってきたからこそ、この拉致問題の解決を、北朝鮮に無法行為全体の清算を求めいていくその中心的な問題として、提起してきました。日本と北朝鮮の2国間にとどまらず、国際問題として扱うその鍵がここにあるということを述べ、北朝鮮の核問題めぐる6ヵ国協議にあたって、国会でも、中国に対してもその点を主張しています。
四、戦後60年という節目の年、確信をもち歴史にはたらきかけ、前進を期そう―――日本共産党を強く大きく いまお話したように、たしかに紆余曲折があるが歴史的に見れば確実に前進をしています。世界という角度で見た場合にはそれがなおさらハッキリしています。 じゃあ何で前進できないか?そのことをしっかり総括しまして、『本当の意味で力をつけよう』決意しています。 女優の吉永小百合さんは1945年生まれだそうです。そして、戦後○○年ということと、自分の年齢とがぴったり重なりあう、戦後の時の流れと自分の人生をずっと重ね合わせて考えてきた、そして、今年は戦後60年だが、この『戦後』が70年・100年と、ずっと続いてほしい、決して『戦前』にはならないよう祈っているってことをインタビューで言っておられました。 戦前との違いは何か?日本共産党が厳然と存在し、堂々と活動をしていること、このように演説会を開催し多くの皆さんからの支援を受けていることだと思います。 憲法を守りぬく力を持った日本共産党をつくろうではありませんか。 二大政党制を打破する力、次の国政選挙で勝利する力をもつ、強く大きな日本共産党にしようではありませんか。
山宣の言葉を胸に、新しい政治をこの京都から 私の国会の部屋には、山宣の有名な言葉を書いた『拓本』を掛けています。
山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が 支持しているから
大学の時代に山宣の映画『武器なきたたかい』を見たことがあります、谷口善太郎役を宇野重吉さんが演じていたと聞きました。 山宣とともに戦前活動をした谷口善太郎さんは私たちの誇りであり、戦後京都で始めて議席を獲得したのが、京都一区での谷善さんの議席でした。その谷善さんの議席を藤原ひろこさん・梅田まさるさんが受け継ぎ、そして2区では寺前巌さんが、まさに山宣の後継ぎとしてたたかいぬきました、それらのたたかいの歴史を私が背負って立ちたいと思います。 新しい政治をこの京都から作るためにがんばりたいと思います。私たちのスローガンは『日本の夜明けは京都から』です。ともにがんばりましょう。(拍手)
(Update : 2005/02/22)
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