こくた恵二
こくたが駆く

沓脱タケ子元参議院議員の霊前に誓う

 沓脱(くつぬぎ)タケ子元参議院議員がなくなられた。
 私は昨年の参院選挙のおり、西淀川の関西ス−パーにおける応援演説でお会いしたのが最後だった。
 お元気な様子で、「衆議院議員も少なくなって国対委員長も大変やろうけど、がんばってな!」と声をかけていただき、支持者の方々に一緒にまわって紹介してくれたのだった。
 突然の訃報に言葉もない。

 くつぬぎさんは、1973年の参議院大阪地方区の補欠選挙に立候補、一議席を争う選挙で見事勝利を勝ち取ったのである。
 当時応援に駆けつけたテレビ・タレントの前田武彦さんが「勝ったらテレビで万歳をする」と演説し、その通りテレビ番組の中で万歳したことは、今でも忘れることのできぬ思い出だ。
 「公害知事はさようなら、憲法知事こんにちは」の合言葉で、黒田革新大阪知事が誕生したのは1971年。その闘いに続いて大阪が、革新の熱気溢れる闘いでつかんだ勝利だった。
 「世直しの名医」「おんな“赤ひげ”」と称された「くつぬぎ」さん、きさくで誰にでも好かれた人柄だった。
 難しい苗字だが、「家に入るんやったら、靴脱ぎや(くつぬぎ)」と、当時のダジャレが子どもたちの口の端にのぼるように、みんなに浸透したという。
 専門の医療・福祉は言うまでもなく、公害闘争はもちろん、サービス残業を初めて取り上げた議員として名を馳せた。
 遺志を継いで、まじかに迫った東京都議選、来るべき国政選挙での日本共産党の前進を決意した。
   

(Update : 2005/06/12)