こくた恵二
こくたが駆く

憲法調査特別委員会での笠井議員の発言

 今日、日本国憲法に関する調査特別委員会が開かれ、わが党の笠井亮衆院議員が、自由討議で発言した。その内容をお知らせする。
 1.本特別委員会設置の経過とわが党の立場
 2.国民投票制度の整備を急ぐことに道理はない
 3.憲法9条を変えて日本を再び「海外で戦争をする国」にしてはならない
の3点について私どもの立場を表明する大事な問題ですので掲載します。 
(大要)

 日本国憲法に関する調査特別委員会・自由討議(発言)

1.本特別委員会設置の経過とわが党の立場

 はじめに、本特別委員会が、「日本国憲法改正国民投票制度に係る議案の審査」をその目的の一つとして設置されたことについて、一言しておきます。
 今日、自民党が、自衛軍の保持、集団的自衛権の行使、海外での武力行使などを可能とする憲法9条の全面的な書き換えを中心とした独自の改憲案の策定をすすめ、民主党も9条改憲の方向をすすめようとしています。そのもとでの本特別委員会の設置は、まさに、憲法9条の改定に向けた条件づくりが目的であることは明白であり、わが党は、その設置に反対しました。
 しかし、設置されたからには、9条改憲を許さず、憲法の平和的、民主的な諸原則を日本の政治、経済、社会の各分野に生かすうえで、本特別委員会の調査に参加していくという立場であります。

2.国民投票制度の整備を急ぐことに道理はない

 日本国憲法改正国民投票制度にかんしてですが、先程来の意見表明を伺いながら、そうした制度の整備を急ぐことに道理はないという確信をますます深めました。3点にわたって私の意見をのべたいと思います。
 
 第1は、「憲法改定の国民投票制度に係る議案の審査等」を本委員会の設置目的のひとつにした根拠を、憲法調査会でその未整備を指摘する意見が多くあったからとする主張についてです。
 大きな議論になって設置された憲法調査会は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査」することを目的としたもので、国民投票制度を審査する機関を設けることを結論づける場ではありませんでした。また、そうした結論も出してはおりません。5年余に及ぶ調査ののち、最終報告書を議長に提出してその任務を終了しており、報告書のいわゆる「多数意見」だったということは、特別委員会を設置して制度を整備するなどという根拠にはなりえません。
 
 第2に、憲法改定の国民投票制度が、約60年にわたって整備されていないことを「立法不作為」であるとする議論はどうか。
 このことについて、憲法調査会で高見勝利参考人が、次のように意見陳述されたことに注目しました。
 「未整備の状態にあるということはそのとおりでございます。ただ、それが不作為という状態にあるから、だから整備しなければというか、立法をつくらなければ違憲状態、違法状態が解消されないということになるかというと、そこのところは理論的にはちょっと問題というか、議論のあるところじゃないかというふうに考えております」。
 そのなかでもいわれたように、もともと「立法の不作為」というのは、国家賠償請求訴訟で、国民が権利主張をするために、たとえば憲法にもとづく根拠法が不整備で、権利侵害があるときに、問題にされることです。
 憲法96条については、現に主権者国民に憲法改定の具体的な内容についての合意があるのに、国民投票法がなく、国民の憲法改正権が侵害されているというわけではありませんから、いわゆる「立法の不作為」にはあたらないというのが、憲法学者のほぼ一致した見解となっております。
 
 第3に、憲法改正の国民投票制度が未整備であることは、国民主権を制限するものだという意見ですが、国民が主権者であるのは、選挙や憲法改正という憲法上、制度化された権利を行使するときだけに限られるものではありません。
 日々、新聞やテレビなどから情報を得て、政治の状況を見て考え、不当なことが行われないように監視し、またある時は、請願権、表現の自由、集会の自由、結社の自由などを行使して、権力機関による政治をコントロールしていくこと、きょうも多くの方が、本委員会の傍聴にこられていますが、このような場面でも、国民はれっきとした主権者であると考えます。 
 したがって、国民投票制度が未整備であることをもって、国民主権が制限されているとする主張は、国民主権の内容を矮小化するものと言わざるをえません。 
 しかも、9条改憲を目的とした憲法改正を国民の多数が望んでいるわけではありませんから、国民の主権を制限するものという意見はあたりません。
 歴史的にみても、かつて1952年に、当時の自治庁が「日本国憲法改正国民投票法案」を準備したことがありました。改憲を政治日程にのせようとする動きのなかで準備されたものでした。しかし、国民が改憲を拒否するもとで、国民投票法案も提出することすらできなかったのであります。その後も、改憲問題が幾度か出てきましたが、国民の批判や反対で国民投票法案の提出までいたりませんでした。 
 このことは、「国会の怠慢」などというのではなく、国民がその制定の必要性を認めなかったということにほかなりません。
 こうした経過は、国民投票法案が改憲そのものと密接不可分であることを示しています。いまの動きも、9条改憲の策動と一体のものであります。
 改憲するかどうかに関わりなく、ともかく国民投票法を制定するなどというのは無意味な議論といわなければなりません。

3.憲法9条を変えて日本を再び「海外で戦争をする国」にしてはならない
 戦後の日本政治では、憲法9条をめぐって激しいせめぎ合いが続いてきました。1950年代に占領が終結したもとで、日本国憲法とその平和主義は最高法規としての力を発揮するはずでした。
 ところが、講和条約とともに結ばれた日米安保条約によって、憲法の平和主義とは別建ての一連の法体系と実態が生まれました。
 日本全土に広がる米軍基地、駐留米軍への特権とその拡大、再軍備と自衛隊の創設と増強、新ガイドラインとそれに基づく周辺事態法、有事法制など米軍支援・日米共同作戦体制の強化、自衛隊の海外派兵など、憲法9条に反する日米安保優先の現実がつくり出されてきました。
 憲法の平和主義と現実との乖離の中心点は、まさにここにあると考えます。
 いま自民党は、憲法9条、なかでも「戦力不保持」と「交戦権否認」を規定した2項を改変し、「自衛軍の保持」を明記する改憲によって、この乖離を突破しようとしています。しかし、この方向で改憲されれば、自衛隊の現状を憲法で「追認」するだけにとどまりません。
 歴代自民党政府は、ともかくも、「戦力不保持」と「交戦権否認」という規定が「歯止め」になって、「海外での武力行使はできない」という建前までは崩せませんでした。9条2項を改変し、「自衛軍」を明記することは、この「歯止め」をとり払い、日本を「海外で戦争をする国」に変質させることです。それは「戦争放棄」を規定した9条1項をふくめた9条全体を放棄することになります。
 こうした動きの根本には、アメリカの先制攻撃の戦争に日本を参加させようという「日米同盟」の変質があるといわなければなりません。
 日本政府が無法なイラク戦争を支持し、世界の流れに逆らって自衛隊派兵を続けていること、世界的な米軍再編の動きのなかで、米軍と自衛隊の一体化が推進され、基地の共同使用の拡大がはかられていること、沖縄をはじめ日本全土の基地が地球規模の出撃・補給拠点としていっそう強化されようとしていること、そして自衛隊の本来任務に「国際活動」を位置づけ、本格的な「海外派兵隊」にしようとする自衛隊法改悪のたくらみなど枚挙にいとまがありません。
 9条改憲の目的が、アメリカの戦争に無条件に協力する仕組みをつくり、日本を「海外で戦争をする国」につくりかえるものであることは明らかです。

(Update : 2005/10/06)