五辻英一郎さんを偲ぶ
今日は、先週おこなわれた京都府党会議をうけて、各地区委員会で地区党会議が一斉におこなわれた。 私も、北地区・南地区の地区党会議の会場をハシゴしてごあいさつ。
あいさつの中で私は、最近の国内外で起きているさまざまな事態が、綱領路線と大会決議の正確さを『絵に描いたように証明している』と指摘。 大会決議の指摘した「侵略戦争を美化する異常」の現れとして、麻生外務大臣の一連の「暴言」が、ニューヨークタイムズや米国の高官からも批判をされていることや、「大企業言いなりの異常」「アメリカ言いなりの異常」の現れが、今国会で問題になっている「4点セット=耐震偽装・ライブドア・米産牛肉輸入問題・防衛施設庁官製談合」であることを述べて「日本共産党の指摘が不幸にして的中してきた。本質を付くことができる唯一の党」と、日本共産党の先駆性と役割の重大性を強調した。
午後からは「五辻英一郎さんを偲ぶつどい」に参加。
五辻英一郎さんは、昨年4月に97歳で亡くなられた、元中京区選出の府会議員。初当選は1974年4月の府知事選挙と同時の補欠選挙で、蜷川知事7度目の再選とともに、2位以下に倍近い差をつけての当選だった。
戦後の生活苦の中で、重税反対闘争のリーダーとして、民主商工会の結成に参加したことや、京商連の会長をされていたことなどは知っていたのだが、戦前の時代に、同志社大学にあったキリスト教社会主義研究会に参加し、中島重教授や高橋貞三教授から「資本論」「唯物史観」の講義を学んでおられたことや、「特高」による弾圧をうけて、研究会からの脱会を強要されたことなどは、今日はじめてお聞きし、あらためて驚いた。
蜷川民主府政の中小企業・商工業行政を支えた「古武士」とも言うべき五辻英一郎さん。私もあらためてその遺志を継ぎ、京都府知事選挙での勝利目指して奮闘を誓った。
(Update : 2006/02/19)
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