【京の職人さん数珠つなぎ】

京瓦職人
 

浅田晶久さん

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瓦の歴史

asada3  日本に『瓦』の技術が伝わってきたのは、1420年前の西暦588年、百済(くだら)から仏教と共に伝来し。飛鳥寺で初めて使用されたとされています。飛鳥寺にも膨大な『瓦』が使われていますから、おそらく実際にはそれよりも早く伝わっていて、『瓦』を使う利点は知られていたのだと思います。
 最初の造瓦技術は、桶(おけ)巻き4枚造りと呼ばれる成型法で、平瓦を桶状の型で一度に4枚作る製法です。
 平瓦と丸瓦を組み合わせた本格的な瓦葺屋根は、重量もありたいへん高価ということで、ごく一部の寺院やお城に限られていました。
 今日、一般的な簡略瓦は江戸時代に考案されます。1657年のいわゆる振り袖火事によって、防火の必要から土蔵に限り瓦葺屋根が認められるようになり、8代将軍吉宗の時代に全面的に瓦葺禁止令が廃止されるのですが、その過程で、簡単に瓦が葺けるように、丸瓦と平瓦を一体にした瓦が開発されました。
 この最初期の簡略瓦は残念ながら実物が発見されてません。
 
 *表面の「磨き」による光沢が京瓦の特徴

質が高かった奈良時代の瓦

asada2  当時、日本に瓦を伝えた職人さんの技術は相当高い水準にあったんだろうと思います。
 というのも、私が学生時代に、唐招提寺の講堂の修復工事に関わったことがあります。古いお寺ですので、様々な年代の瓦が残っています。1300年前の建立当時の瓦も20数枚残っていました。
 逆に平安時代のものはほとんど無くなっていました。技術力が落ちたんですね、粗悪品が目立つのです。これではまずいと言うことで、鎌倉時代にまた瓦技術の復興がなされたようです。
 このような一時的な技術の低下は、現代でも起こっています。1970年代のオイルショックで、窯の燃料代が高騰しました。このとき、燃料を節約してしまったために、強度が低くなってしまい、30年しかたっていないのに補修の必要な瓦が沢山つくられました。最近の仕事は、この年代の瓦の修復が多いですね。

* 唐招提寺に残っていた建立当時・1300年前の瓦

 

瓦作りにとって大事な『土』京都では調達できない

土づくり箱積作業  瓦作りにとって、良質の「土」がとても大事です。
  これは、いつの時代も同じだったようで、白河上皇の院御所だった鳥羽離宮に、播磨の国の土が使われていたことがわかっています。
  京都では、東山の「智積院」や伏見の「小栗栖」、亀岡の「つつじヶ丘」といったところで土を採っていましたが、いずれも土を採りきる前に住宅開発がされて採取不能になってしまいました。結局、京都で瓦製造に適した土を確保できなくなってしまい、今は愛知から購入しています。
  京瓦と名乗る以上、「粘土」「燃料」「伝承された技術」のすべてを京都で賄いたいところですが、粘土・燃料は他県や外国からの輸入に頼らざるをえません。         
 今研究しているのは、廃瓦を砕いて粉末状にした物を混ぜて新しい瓦をつくることです。おもしろいことに、混ぜる割合によっては土だけでつくるよりも硬度が上がることがわかってきました。
  それから、粘土の中のごくごく小さい石粒を完全に無くした「本うす」という瓦を再現したいと研究しています。石粒を完全に排除することで、表面のざらついた感じが一切無くした物を指すのですが、今では誰も実物は見たことありません。昔は(大正時代ぐらいまで)それぐらい良質な粘土があったのですが、今は無理ですから、そういう土に加工する方法を探っています。

* 土を箱の形に積み上げる「箱詰」という作業。土作りは重労働です

瓦のブランド『京瓦』−自分の代で無くすのは惜しい

 私が、この仕事をはじめたのは、大学の建築学科を卒業してすぐの頃です。当時、一級建築士はとんどん増えてまして「建築は皆がやってるが、瓦をやってる人間はいなくなる」と思いまして。仕事の手伝いは小学校の頃からやってましたし、高校の時に親父が倒れて入院したときにはかなり本格的に手伝いました、自分が長男でもありましたし、すんなりと3代目を継ぎました。
  その昔『京瓦』というのは、他の瓦とは比べものにならないぐらいの高級品だったんですよ。手作りの良さである手間のかけ方、とりわけ『磨きの技術』などが評価されていたんです。
  だから手作りの京瓦の良さというのは分かっていました。「自分の代で無くすのは惜しい」という思いはすごくありましたし、今もあります。

残念ながら私の家族には後継者がいませんが、何らかの形で、この「手作りの技術」を伝えたいと思っています。
  今、京都工芸繊維大学との共同で「暗黙知」の「形式知」化の研究をはじめました。「感」に頼っていた技術の伝承を、記録や形に残る物にする作業ですね。それから、武庫川女子大学の建築学科の学生を相手に、瓦作りの実習ということで、教えに行ってます。

 

「手作りの技」が消滅すれば、技術そのものが滅びる。

照明器具になる瓦  京都には手作りで瓦をつくる職人が多くいたため、全国の産地で機械化が進む中、京都は機械化が遅れました。そのため、わずかながらも手作りの「京瓦」が残ったと言えます。 しかし、どうしても高価な『手作り瓦』では、安価な『機械瓦』に勝てません、今となっては、手作りの「京瓦」をつくれるのは、うち(浅田製瓦工場)ともう1軒だけになってしまっていました。
  どんな技術でもそうでしょうが、手作りがすべての『ものづくり』の基本です。機械化するにあたってベースとなる手作りの技術が発展しなければそれ以上の質の製品はできません。「手作り」の伝統産業でこそ、新しい物を創れるのです。
  最初に1300年以上も現役で使用されている瓦の話をしましたが、これってある意味『究極のエコロジー製品』じゃないですか?(笑)。『環境問題」とか『高付加価値商品』とか、新しい時代にもとめられる『物づくり』に、この「手作り瓦」の技術が必要とされるはずなんです。
  私は、この「手作り」の仕事が大好きなんです。だから、贅沢は言いません、後継者を育てる分の仕事だけでも確保できて、手作りの「京瓦」を残せたら、それで良いんです。

* 瓦を使った新製品も色々と開発している。

<追伸>下記のリンク・クリックで、浅田製瓦工場のオリジナル商品を購入できます

浅田製瓦工場サイト
浅田氏オリジナル商品販売サイト

 

こくたさんに期待します

P0403 今年の3月20日「伝統産業の日」のイベントで、こくた議員にお会いし、京瓦の保存について立ち話程度ですがお話しをする機会を得ました。
  私からは、手作りの「京瓦」をつくれる会社が2軒しか残っていないこと。仕事が少なくて後継者を育てる余裕がないこと。国が保存に責任をもっている伝統文化財について、文化財そのものを保存するだけでなく、技術の伝承・技術者の育成も考慮に入れて欲しいという話をしました。
  立ち話だったのに、しっかり気にとめていただいたようで「実情をもう少し教えて下さい」「ご一緒に要望をまとめて国へ申し入れしましょう」と電話がありました。
  「文部科学大臣への要望書としてまとめてみましたが、これでよろしいですか」と再度の連絡。あれよあれよという間に、私たち業界の要望を政府に伝えていただきました。文部科学大臣へ要望書が提出したと連絡がありました。
  すぐに動いていただき、そのフットワークの軽さにおどろきました。
  こくた議員が、京都の伝統工芸品を本当に大事にしようと活動している方だとわかり感激しました。今後のこくたさんの活躍に期待しています。

[2009年7月]