京金網職人
京都市伝統工芸連絡懇話会会員
辻賢一さん
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■京金網とは
京金網は大変古くから存在して、平安時代には『火取り籠(ひとりかご)』という、お香を焚く香炉の上にかぶせる釣鐘型の銅製網がありました。金網を使った工芸品は、おそらく奈良時代には利用されていたのではないでしょうか。
外国にもワイヤー・アートという手工芸のジャンルが有りますし、世界4大文明の地域でそれぞれ金属製の網を利用した手工芸品があったんだろうと思います。
京金網も中国文明からの影響をうけてます。
*手網の飾り皿。ビーズがあしらわれています。
■30軒以上あった京金網細工の店がわずか4,5軒に
京金網は、主には調理道具としての用途で使用されています。豆腐すくい、焼き網、茶こし、うらごし器等々ですね。昭和30年頃には、京都でも30軒以上の京金網の店があったそうです。
30年代にプラスチック製の調理道具が急速に広がって、調理器具以外の金網を使う仕事を受けざるをえなくなっていきました。例えば、大手フェンスメーカーから、グランドなどに張るフェンスの仕事が入ってくるようになって、その仕事へ移行する業者もありました。
建築関係以外にも医療器具向けの金網加工を専門に扱うようになった店もありした。
今日では、私の店のように伝統的な手編みの金網細工店は、わずか四、五軒に減りました。
*北区
■京金網とは
京金網の仕事は大きく分けて3つ。1つは銅線などを手で編む仕事。2つ目は市販の網を加工する仕事。3つ目は曲げ輪という木製の円筒に円形の網を張る仕事です。
まず手編みです。(写真右上)、「菊出し」という技法で中心から放射線状に広がる針金を、六角形の網=亀甲編みで編み込んでいきます。
針金一本から手で編みこんでつくっていくのですが、とても奥の深い世界です。
つぎに市販の網を加工する仕事です。(写真右中)
機械で編まれた金網を1つ1つ手仕事で加工をして焼き網などをつくります。
機械で編まれた金網ですから、基本は平板=二次元です。それを手仕事で立体に加工するわけですが、ここで網目を美しく保ったり、溶接せずに組み合わせるのに、技術がいります。機械で溶接するのと違って、手で曲げて加工するので、丈夫で長年使うことが出来ます。
目的に応じて、網目や素材を変えて、いろいろな形のものを作ります。
機械でつくる金網にも、手網では作れない良さがあります。そういうものを取り入れながら「手仕事」で仕上げるわけです。
3つめに、曲げ輪です。(写真右下)
馬毛のうらごしや、蒸篭(せいろ)など、京料理に欠かせない調理器具です。網が破れたら張り直せるので、調理人が使い慣れた道具を使い続けることが出来ます。
3つの仕事を、分業せずに一人の職人が手がけます。全部覚えて、まともに商売として成り立つ商品が作れるようになるまでに、10年〜15年とかかります。私自身もまだまだ勉強途上だと思っています。
■オリジナル・ブランドで“誇り”“こだわり”
3年ほど前に、高台寺に、“金網つじ”のオリジナルブランド・ショップを開店し、それまで仕事の中心だった“下請け”の仕事を、すべて断ることにしました。
本当にやっていけるかどうか、始めたときは本当に不安でした。しかし、“下請け”の仕事はどうしても単価が安くなりがちで、一日中・朝から夜寝るまで、手を動かし続けないと最低限の生活をしていける収入を得られないという状況でしたから、「これでは息子に後を継がせられない」と、思い切って“金網つじ”ブランドの仕事一本で生活することにしました。
やはり自分のブランドで作るとなると、一つ一つの商品を作るにも“誇り”や“こだわり”を持つことが出来ます。本当に良かったと思っています。
金網つじホームページより
■跡継ぎ息子への期待
今、息子の徹が“金網つじ”の後を継ぐべく修行中です。
京金網の技術はまだまだこれからです。が、“金網つじ”のホームページを立ち上げて、私のつくった商品を、インターネットを使って、ネット通信販売をはじめてくれました。
これがわりと軌道に乗って、ネット通販の売上の比率も徐々に上がっています。おそらく、このインターネットがなければ、独立して下請けの仕事をやめるという決断は出来なかっただろうと思います。その点で、息子には本当に感謝しています。
これからも若い感性で新しい仕事に挑戦してくれたらと期待をしています。
作業中の辻 徹 さん
■日本政府の文化・芸術・伝統工芸への無理解
最近、フランス・パリの見本市“メゾン・エ・オブジェ”に、“金網つじ”として出品をしました。私の作品を見て感動してくれたフランス人のワイヤー・アートの職人さんが、「弟子入りさせてくれ!」と、日本までやってきました。
そういう大胆な行動ができるのは、フランスという国が、そういう伝統工芸品の振興にものすごく力を入れていて、勉強のための渡航費用や滞在費を国がサポートしているからなのですね。日本では考えられないことです。
私が、国の伝統産業政策に対して不満なのは、所管をしているのが経済産業省で、国が指定する『伝統的工芸品』が、ある程度の規模を持った『産地』しか指定をしてくれないことです。
ようするに「産業」としての側面しか見ていないから、私たちのような小さい“業界”は相手にもされない。
日本社会全体にも『文化』や『伝統工芸』に対する、無理解や関心の低さを感じます。
そして何より、フランスなどと比べるとあまりにも国も自治体も文化・芸術や伝統工芸品振興に対する予算規模が小さすぎる。
■次代に“職人技”を引き継ぎたい
京金網の“業界”は、わずか4〜5軒です。
私が加入している、伝統工芸懇話会のメンバーは、それこそ1つのジャンルに1〜5軒までの小さい“業界”が寄り集まって会を構成しています。
私たちのような小さくなってしまった“業界”にも、次代に伝えるべき貴重な“技術”があります。“職人技”と呼ばれるものです。
職人が引退して引き継ぐ人がいなくなったらその“技”は復活させることは非常に難しい。実際、寺社仏閣に納められている宝物・仏具などに使われている手編みの京金網の中には、現代の職人は誰も再現できないような技法で造られたものがたくさんあります。
こういう“伝統の技術”は、将来の日本にとって必要になる時期が必ず来るはずなんです。おそらく気づくようになるのは50年・100年先になってやっと気がつくということなんでしょう。
今の日本政府が、伝統産業を大事にしない政策を続けたとしたら50年・100年先に必ず後悔することになると思ってます。
■こくた恵二さん に期待します
伝統工芸懇話会では、年に1回、展示・実演・即売会を開催しています。
こくた恵二さんは、ほぼ毎年欠かさず駆けつけて、われわれのことを激励してくれています。こくたさんが来ると、懇話会のメンバーが自然に集まってきて、各々の作品について感想を言いあって談笑するんです。伝統工芸品をこよなく愛していることが良く分かりますね。
日本共産党の伝統的工芸品産業振興対策委員会責任者でもあるとお聞きしました。私たち京都の伝統工芸品に関わる者にとって、本当に身近で頼りになる政治家です。
今後のこくたさんの活躍に期待しています。
[2010年6月]
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