調べ緒作家
慶秀堂宗家・五代目
山下雄治さん
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■「調べ緒」(しらべお)―― なんと素敵な名か
「調べ緒」という名を知っている人は少ないように思います。それでも、能や歌舞伎、文楽、長唄で使う小皷(つづみ:鼓とも書く)や大皷(おおかわ)、締太皷、胴長太皷の音を調整する色鮮やかな紐のことはおおかたの人がご存じです。それが「調べ緒」です。いい響きの名です。
ところが、「調べ緒」に興味をもって取材に来ながら「普通の人は分からないから『麻ひも』と書かせていただきます」という方が少なくなかったですね。残念なことです。
名が知られていないということでは、こんな話もあります。「ニッセイ・バックステージ賞」という大変な賞をいただきました。ありがたいことに賞金だけでなく、終身年金までいただいていますが、なんでも4年間、対象者の筆頭に私の名があげられたそうです。
ところが、「調べ緒」というのが分からないと年月が過ぎ、平成18年に決定権を持たれる7人のなかに日本芸能実演家団体協議会会長の野村萬さんが入ってこられた。私のことを良く知っていられて説明をされたとのこと。
それで、私のところに関係者の方が聞きに来られて、「能や歌舞伎、文楽、長唄にとって、なくてはならない『調べ緒』。それを永年ひとりで担ってこられたんですね」と理解してもらい、受賞が決まりました。文化・芸術に熱心な文化振興財団でも、そうなんだと痛感しました。
■父は工務店。私は三男―― 調べ緒との運命的な出会い
家は、京都市北区の白梅町です。こくたさんの住む小松原は私の庭のような感じですな。父は工務店をしていまして、私は三男でした。二人の兄が立命館大学を出て就職しましたので、家業を継ぐつもりでいましたが、兄がそろって仕事をやめて家に帰ってきて「仕事を継ぐ」というのです。
そんなとき、この家の修理の手伝いに来ましてね、家の主が縁で紐をいじっている。梅雨の晴れ間の陽を浴びて朱色の紐がきれいでした。不思議に思って昼休みに聞いてみると、それが「調べ緒」という名で、「鼓の音を出すのに重要な役割を果たすものだ」と教えてくれたんです。
その老人が、慶秀堂4代目の山下秀次郎さん、私の師匠です。私は、翌日、弟子入りのお願いにあがりました。「楽ではないぞ」と師匠。その日からの住み込みの厳しい修行が始まりました。それが18歳。58年前のことです。
■秘伝は、ただ一つ「硬く柔らかく」
「一生の仕事にしよう」「私が継がないとなくなってしまう」と決意がありましたから、朝の五時起きも、5分の食事も苦ではりませんでした。雑用ばかりの合間に、師匠の「綯(な)っ」た「調べ緒」の「縒(よ)り」をこっそりと戻してまねていました。
師匠の「硬く柔らかく綯え」という禅問答のような言葉が、唯一の教えです。力の入れ具合やスピード、集中度、ことばではなかなか言い表せません。自分が弟子を持つ身になって、実感します。
■鼓は一つひとつに音の味がある。その決め手が調べ緒
皷は全国に100万丁あるでしょうか。その一つひとつみな音が違う。その音づくりに欠かせないのが「調べ緒」です。実は、調べ緒作りの専門の職人の歴史はそんなに古くありません。麻加工製造の慶秀堂は寛政11年、1799年創立とあります。明治10年ころに初代が、「調べ緒」の専門職として道を開いたのが始まりです。それまでは、楽士が手近な紐で間に合わせていました。
小皷、大皷、締太皷に掛けた「調べ緒」の締め具合で音階を調整します。小皷の場合は、「オツ」「ホド」「カン」「カシラ」の四音ありますが、「調べ緒」が硬くなければ、手の締め具合が、小皷の面・「皮」といいますが、この張力に直結しない。しかし、「柔らかく」なければ、「皮」に開いた六つの穴、「調べ穴」といいますが、調べ緒が通るときの滑りが悪くなる。「通(かよ)い」が悪いといいます。力を抜きすぎてもグサグサになって「腰」がなく通いが悪い。
23歳の時に師匠が亡くなり、五代目を継ぎましたが、理想的な「調べ緒」が「綯える」ようになるには10年かかりました。
■麻の在来種!! それは貴重なもの
栃木県鹿沼に生える日本麻からは、本当にいい繊維ができる。ただし、1kg2万4000円はします。貴重なものです。それで3掛がやっとですな。貴重品です。この麻を一週間水にさらし、毎日水を換え、その度にコンクリートの上で叩く。今は野球のバットを使っています。今ちょうど弟子が叩いていますよ。繊維を柔らかく揉みほぐす。自然の麻の荒々しさを殺して、強さだけを残す。柔らかく腰の入ったしなやかな「調べ緒」のための大切な仕事です。
いい在来種が手にはいると、注文がなくても、宗家用に取り置きしています。いい品はまさしく「とっておき」です。
■すべては、手の研ぎ澄まされた感覚
それでは、「綯う」ところを見てもらいましょう。
小皷の「調べ緒」は25尺5寸、8m70cmの長さです。「硬く柔らかい」いい調べ緒は、この長さが465駒、つまり465回綯っている。もちろん意識して数を数えたら、手が硬くなってしまう。自然とそうなっています。
麻を小分けにして、継ぎ足したところが分からないように、どこも同じ太さで、通いが良いものをつくる。
大変なのは、大皷、太皷で長さも、太さも違う。しかも、楽士さんの個性があって、堅さ、柔らかさの好みがある。それを手のひらの感覚だけで、つくりわけることができなければならない。注文は、多様な種類が少しづつ、それこそ1本、一本がすべてオーダーメイドです。しかも、その日の手の湿り具合、作業場の湿度で調整しなければなりません。
これは、麻団子です。この麻に含まれた水で手の感覚を調整しています。まさに手仕事です。手の写真を撮られたのは初めてですな。少し小さいけれど柔らかい、そして湿った手です。
■調べ緒の完成には30工程ではききません
綯い終われば、漂白し、水洗いし、カルキを抜き、もう一度水で洗ってから染めます。
実際の完成品を見てもらいましょう。朱色だけでなく、色々な色があるでしょう。朱色でも流派で違いますし、朱色以外を指定する楽士さんもあります。
ただし、紫は宗家のみに許される色です。染めた後にも乾燥段階で手がかかります。5割ほど乾いた段階で揉みほぐす。縒りをかけ、8割ほど乾いたところで毛布にくるんで蒸らす。ヒゲを取り、房をほどいて縒りをかけ、椿油でしごく。
それで、この竹の輪を使って、小巻にしてみましょう。
この竹も古いもので手作りの道具です。よく完成まで30工程といいますが、これに含まれない工程もたくさんあります。小巻にしたものを箱に詰めて一週間寝かします。そうすると、フワッとふくらんで、それはそれは良い「調べ緒」が生まれます。やっぱり、美しいものがいい音を生みますな。
■もっと良い調べ緒を! これからも研鑽あるのみ
なぜ、染めだけでも人に任せないのかといわれますが、「調べ緒」の作者には「音」に責任があります。一つの作業の善し悪しが音に出ます。まがい物も出回っているようで、演奏中に音が出なくなる場面に居合わせたこともあります。ですから一つひとつの工程を研鑽しているわけです。
ここに小皷の「胴」があります。どういう理屈で音がするのか。中をのぞいてご覧なさい。音が抜けるようになっています。これも「表」と「裏」がある。間違うと音がしません。これにあう「皮(こしき)」は20組に一組あるでしょうか。「皮」も叩く方の「表」と、共鳴させる「裏」があり、「皮」の厚さが「7対3」から「6対4」と一組づつ違います。
ここから勉強しています。「胴」の制作にも挑戦しました。いまは「皮」の師匠に小皷の「皮」の修理の弟子入りして勉強しています。3年間お願いして弟子になりました。この年になっても「調べ緒」をつくるための研鑽が求められているのです。
■伝統工芸を守るということ
何人か弟子を育ててきましたが、まだ誰が6代目かは決めていません。楽士さんも、「せっかくだから」と師匠である私に注文され、何軒あっても注文が偏ってしまうという状況にあります。
「何とか独り立ちさせて」と10年は育てますが、1000万円は持ち出しになるでしょうか。弟子といっても給料も出しますから。こくたさんが国会で追及されたように、後継者育成のために金沢市が取り組んでいる、弟子に月10万円、師匠に月6万円の支援。せめてこれぐらいは国の制度になればと思います。
私のように全国で一軒だけで製造という伝統工芸が京都だけでも約40職種ありますが、国の伝産法では支援の対象になっていません。
そこで、京都市は、一軒で伝統を守る仲間を集めて京都市伝統工芸連絡懇話会を結成しました。
私は、その会長も務めてきました。今年は結成30周年と言うことで、同じ手仕事でがんばっているドイツに職人さんを派遣して勉強してもらい、交流をしてもらいました。
日頃から、伝統産業に親しみ、私たちの苦労を我がこととして東奔西走しているこくた恵二さんに期待しています。
―― 特にお茶目というのか、鼓を打ち、音が出たと言って子どものように喜び、愛でる姿には笑いえを禁じえませんでしたよ!
[2011年6月]
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