【京の職人さん数珠つなぎ】

京都絞り工芸館館長
同志社女子大学嘱託講師

吉岡健治さん

吉岡健治

絞りって何?

鹿の子絞り

「絞り」とは、糸などで生地をくくったりしめたりして、染めたくない部分に染料が入らない(防染)ようにして、70℃から90℃以上の染料でたき染めするのが特徴です。代表的な技法で「鹿の子絞り」と呼ばれる技法がありますが、小鹿の斑点に似ているのが名前の由来になっています。
 鹿は神の使いと言われ、また安産でも知られる事から大変縁起の良いものとして、お嫁入り道具や成人式の振袖などに喜ばれます。
 簡単な原理によって「粒」や「しわ」をつくるこの技法は、その簡単さゆえに、歴史はたいへん古く、記録として残っているものとしては日本書紀にも出てくるほどです。だいたい6世紀から7世紀ぐらいからあったと言われれてます。

簡単ゆえに奥が深い

写真

 簡単な技法であるだけに、奥が深い。そして、絞った布をほどくまで、どんな仕上がりになるかわからない。これが「絞り」の最高の魅力だと思います。
 また、絞りを作り上げるには、さまざまな工程を経ないと出来上がらない、絞り方一つをとっても、何種類もある、染め方もしかり、そしてその工程の一つ一つをそれぞれ専門の職人さんが手仕事でおこなうわけです。わたしの会社の仕事はその工程全体のプロデュースのようなことをやっているのですが、うちでだいたい40人ぐらいの職人さんに仕事を頼んでいます。中には、『この人がいなくなったらこの技術はなくなってしまう』という職人さんも多数いるので、伝統の『技』を伝承することが急務になっています。

17回続いた『絞りフェア』

巨大着物

 わたしがこの会社の社長を引き受けたのが1987年、実は受けるとき大変なやみました。『この仕事に未来があるのだろうか?』と。「おなじみのお客に買ってもらうだけでは、市場は痩せ細るばかりじゃないか?」「職人さんも後継者が確保できるのか?」など将来への不安があった、だいたいその当時の「絞り」といえば、一着何百万もするような着物を売っているのに、広告宣伝費はゼロなわけです、同じ何百万の商品を売っている自動車だって、コマーシャルをものすごくするでしょう?そこで、「絞り」そのものを世間にアピールしようということで始めたのが「京都絞りフェア」でした。第1回では、ギネスに挑戦ということで、畳20枚分の絞りの着物を作ったわけです、そうしたらこれがマスコミに大きく取り上げられて注目を集める。それから毎年やるようになり、昨年で17回を数えました。

『美術館』まで作って

東海道五十三次

 別に売るつもりのないものをつくるわけですから、完全に赤字です、それも何百万円何千万円の。でも良いんです、「絞り」そのものを世間にアピールすることで、関心をもってもらえる、いずれお客さんがふえるという形で還ってくれば。それから、売り物ではないから冒険もしやすい、新しい技術開発の場にもなっています。また、どんどん少なくなっていっている職人さんを励ます意味もある。後継者をつくろうと思っても、職業そのものの未来に夢や誇りがもてなければいけません。東京の銀座で絞りフェアを始めたのも、この「絞り」を体験できる美術館『京都絞り工芸館』を作ったのも、同じくそういう思いです。
 だから、こういうことはこれからも続けていくつもりです。本音を言えば、誰か代わりにやってくれる人が出てきてくれたら、すぐにでもやめたいぐらいなんですけど(笑)。

失われた『技』は元にもどらない

手仕事

 『伝統産業を守る』というのはどういうことだろう?ということについてよく考えるのですが、私は昔からの技の伝承を子孫や弟子だけにというのでは『守る』意味がないと考えています。機械では絶対に真似のできない『手仕事』の技、そのよさは、世間からちゃんと見てもらえれば、もっと一般の方に知っていただく=体験していただく、ことで、必ず評価されて生き残っていけるはずです。またその『技』を引き継ぎたいと思う人=後継者も出てくると。
 この美術館に来たお客さんが、このなんでも機械でできる時代にこれほど手間隙のかかる『手仕事』に驚くわけです、そして、この「技」を受け継ぐ職人さんの数がどんどん減っているという話をすると『国は何かしてくれないのですか?』と言われる、わたしは『何もしてくれません、だからわたしが自分でこうしてやってるんです』と応えるわけですが、やはり、いったんなくなった技術はとりもどせません。国の伝統産業振興資金も、一回つかったらあとは何年も廻ってこない、一回きりです。お金の使い方をもっと工夫してもらって、後継者を作ることや新しいお客さんを増やすようなことに税金を使ってほしいと思います。

「着物を愛する」の穀田さんに期待

穀田さんと

 穀田(こくた)さんとの出会いは、私らの業界団体の講演に招待したときです。総会のあとでした。共産党の議員といったらどんな人かいなと思っていたら。和服で来るではありませんか私ら和服業界の者が年一回の総会で、全員が洋服。共産党の議員が和服。
 参加者一同「一本取られた」と言ったものです。
 お付き合いしてみると、本当に着物を愛していること知り、惚れ込みましたね。今では二人で着物着用を競い合っている間柄ですよ。
 こくたさんが、わたしたち伝統工芸の現場の声によく耳を傾けてくれる方だということは私が保証します。おおいに期待しています。

[2005年2月]