PHOTO PARTNER KYOTO
京都府写真材料商業組合
理事長
中西邦雄さん
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こくた注:
今回、 中西さんは「職人」と言うわけではありませんが「文化としての写真」
を守り発展させようという取り組みに共感しましたので、こちらコーナーで取り上げました。
■日本最古の写真
日本へのカメラの伝来は1841年にオランダ船によって島津藩の御用商人であった上野俊之丞が購入し、
島津藩主の島津斉彬(なりあきら)に献上されたと言われています。
島津斉彬の肖像写真が現存している日本最古の写真ということになっています。
当時の写真機はそれこそ家屋敷よりも値の張る代物で金がかかる趣味であり「職業写真師」と言えば、
特権階級を相手にした人物写真を撮るというのがほとんどという時代でした。
日本人初の写真家としては上野俊之丞の息子で、教科書にもよく載っているような「勝海舟」や「坂本龍馬」
らの撮影をした上野彦馬(1838〜1904)が有名ですが、その弟子らが開業した写真館は、
当時裕福だった江戸や大坂・京都あたりに開業し、そこで写真撮影の技術が発展していきます。
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島津斉彬の肖像写真
■日本の写真の発祥地は京都?
ところで、京都で初めて写真撮影をした一人とされる堀内信重
(1838年頃〜1876年)、は、面白いことに人物写真ではなく風景写真家だったようです。
最近になって幕末から明治初期にかけて撮ったとみられる京都の風景写真が見つかり話題となりました。
おそらく、公家や幕末の維新志士達の写真なども撮っていたのでしょうが、
直接はお金にならない風景写真をなぜ撮っていたのか?なかなか興味深いものがあります。
今となっては分りませんが、京都の風景には当時からそれだけ値打ちがあると思わせる何かがあったのでしょう。
ということで、趣味として、文化としての「写真」は京都が発祥の地だと言ったら言い過ぎでしょうか?(笑)
* 堀内信重の写真館は知恩院の敷地内にあった。
■写真は文化
私は、
文化というのは画像を残すことから始まったと思っています。
最初はラスコーの洞窟壁画のようなものから始まっています。
様々な形で進歩し現在に至っている一つが写真であったり、また、一つは象形文字を経て文字に至っているのでしょう。
猿やイルカも会話はしていると言いますけど、 画像として残すことができたのは人間だけです。
残すという点で、最近の「写真」 技術の発展の方向性に少し危惧するところがあります。
この頃のデジカメや携帯の写真機能の普及は、 写真機の台数としては爆発的な増加です。ところが、
ハードディスクやフロッピー、 CD-R等に保存するこれらの写真が100年後も保存されるかといえば難しいでしょう。
ハードディスクはいつか必ずクラッシュしますし、 フロッピードライブやCDドライブなどの読み取り装置の寿命は、
新しくなればなるほど短くなっています、
少し前までZIPドライブに大量に保存した私の写真は今では取り出すすべがありません。
逆に、 130年前の写真でも紙に印刷されたものは今も残っています。
単純な技術で残したものの方が長持ちするというのは皮肉な話です。
* デジタル記憶媒体の数々。
■黒船到来?デジタルカメラの登場
ご存じのように、
フィルムカメラからデジタルカメラに変わったことで、現像に出される写真というのがすっかり減りました。
私が商売始めた初めのころなどは、室町通りには呉服店が立ち並んでいたので、
商品の見本写真を御池通りから丸太町まで御用聞きして回ればそれだけで食っていけた時代もありました。
あと、例えばすぐ近所に京都新聞社がありますが、
ここからは甲子園の時期など毎日200本単位でフィルムの納品があったのですがいまは全然です。
全部デジカメに置き換わりました。ごくごくたまに使い捨てカメラの現像が持ち込まれる程度で、
社内からは現像のための暗室すら無くしたんじゃないでしょうか?
*
ビッグカメラのデジカメコーナー
■町の写真店の減少は業界としてギリギリの状態
私ども写真材料商業組合の加盟店は最盛期には300軒以上ありましたがいまでは70軒足らず、
どの店も後継者がいないので、もうしばらくしたら廃業という店がかなりあります。
人口1万人に1軒以上無ければ、その業種は業界としての存在感が無くなってしまうと言われています。
町の写真屋はちょうどそのギリギリのラインを下回るかどうかというところです。
ちなみに京都府の写真店の数は約200軒です、1万人あたり1軒を下回ってますね。
■写真文化の総括が必要
技術の進歩で、
古い技術が新しい技術に置き換わることはある程度仕方ないと思いますし、
デジタルカメラを相手にした商売に対応することで生き残っていくことも、顧客のニーズにこたえる点で我々
「町の写真屋」に求められている課題なのだと思います。
ただ「文化としての写真」 というものを考えた場合、
フィルム写真について何も総括もないままこのまま無くなるというのはやはりまずいのではないかと思っています。
デジタルデータは保存に不安が残りますから、 やはりこれからも記念に残す写真はプリントすることが必要ですし、
その時に町の写真屋が全て潰れていたということになっては、お客さんにとっても不利益になると思うのです。
その点で、写真文化に大きな責任を持っている大手写真機メーカーが、一方で「お家プリント」などと言って、
奇麗に印字のできるプリンターを売ったり、 大手量販店に特別安く卸している現状にも少々腹立たしい思いもあります。
■ 超大型家電量販店が出店ラッシュ
量販店と言えば、京都では今年から来年にかけて、
床面積を合計すれば京都中の電気店・
カメラ店を合計してもかなわない規模の大型店が同時に3店舗も出店します。
ビッグカメラ・ヨドバシカメラ・ジョウシン電機です。
もちろん、利潤を追求するメーカーが、
品揃えの豊富さで消費者を引き付ける超大型家電店舗を優遇するのは当然とも言えますが、
町の写真店と大手写真機メーカーとはお互いに写真を楽しむ顧客の裾野を広げるために協力し合って来たわけで、
あまりに身勝手なことをされるのはどうかという思いもあります。
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京都駅の駅舎と一体になっているビッグカメラの店舗
■京都写真材料商業組合の挑戦
この動きに対抗するには、 一つ一つの店舗の力ではどうしようもない、
力を合わせて難局に立ち向かうためにもやはり組合の出番だと思っています。
とは言え、 そこで業界のエゴが前面に出てはお客さんから見放されてしまう。そこで、「写真は文化」としてとらえて、
文化としての写真を守るという社会的な活動がカギだと考えています。
具体的には、これまでも続けてきた 「写真撮影会」のイベントを引き続き盛り上げる。それから「撮る機会」
の提供とともに「見せる機会」 の提供をということで、11月にギャラリーをオープンしました。
こういうギャラリーというのは全国でも初めての取り組みです。
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PPKギャラリーオープニングセレモニー
■こくた恵二さんに期待します。
17年ほど前に私達の京都府写真材料商業組合は全党派顧問制を制度としました。
ある党は縁がなく立ち消えになったり、また、ある党は引き継ぎが上手くいかず‥といった感じで、
現在に至ったのは国政レベルでは穀田恵二衆議院議員と前原誠司衆議院議員のお二人になってしまいました。
穀田恵二議員は寺前巌議員から引き継いで戴いたのですが両議員とも非常に親身に相談に乗って戴いています。
去る9月22日「PPK顧問懇談会(日本共産党側)」が料亭「かごの屋」で開催されました。
新しく顧問に就任戴いた原田完府会議員、北山ただお市会議員も交え和やかな懇談会を開催する事が出来ました。
小売業界の現場の痛みと文化がわかってくれる党に是非ともがんばって戴きたいと感じたのは私一人ではなかったと思います。
今後の穀田さんの活躍に期待します。
[2007年12月]
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