杼製作職人
文化庁指定・選定保存技術保持者
長谷川淳一さん
|
■杼(ひ)とは?
杼(ひ)とは、
一言で言えば織物のタテ糸の間にヨコ糸を通すための道具です。
タテ糸の間にヨコ糸を通して作られる「織物」 の歴史はそれこそ人類の文明史と重なる長い歴史があり、
日本でも弥生時代には存在しました。杼も、当然その最初から存在したわけです。
初期の杼は、タテ糸の幅と同じ長さの板状のものであったようです。
現在の「杼」は、英語でシャトルと呼ばれるように、タテ糸の両端をビュンビュンと走らせる形になっています。
形は基本的に舟形ですが、織物の種類によって、大きさや形、重さも色々あります。
* 織物の種類に応じていろいろな杼(ひ)
がある
■「杼」
のつくりかた
杼をどうやってつくるかですが、原料には宮崎県・
綾町の赤樫を使っています。 木の目が詰まった非常に堅いものです。
実はこれ、祇園祭の鉾(ほこ)の巨大な車輪にも使われているんです。
赤樫をその車輪の修理用として大量に買うときにお願いして1本分だけ分けてもらっています。
一本だけ注文すると高くなりますから。
製材をした赤樫を家の奥にある蔵で徹底的に乾燥させます。これには最低でも10年、だいたい20年ぐらいかけます。
乾燥が終わった赤樫を、「電動のこぎり」「ノミと槌」「かんな」「ヤスリ」等を使って、
作る杼の種類にあわせて削ります。
この作業が大変で、赤樫というのはとにかく硬い!なかなか思った形まで削れませんし、
削っているうちに摩擦で熱を持ったり、力を加えすぎて割れてしまったり。
若い人がやろうと思ってもへこたれてしまうんじゃないでしょうか。
*
西陣織の杼には特別な仕掛けがいっぱい
■娘を嫁がせるような気持ち
一つ一つ、手作りで作る杼は、
注文に応じて大きさや重さを調整させます。 一人一人の織り手によって、微妙な厚みや重み、
大きさ等に差があるのです。
長年使い込んで手になじんだ杼は、職人さんにとっては本当に大事なものです。
硬くて丈夫ですから、それこそ50年前に先代が作った杼を修理に持ってこられることもあります。
ですから、作る私にとっても、一つ一つの作品を納品するときには娘を嫁がせるような気持ちです。
■「杼屋(ひいや)」 の仕事
私がこの仕事を始めたのは1949年、高校を卒業してすぐでした。
当時、日本全体が貧しくて「勤め人」の仕事の募集がほとんど無くて、
先に就職した人がすぐにクビになるような状況でした。
そんな中で戦後一番早く復興をしたのは着物でしたから、家業を手伝うことにしたんです。
私もそうですが、父も「職人らしい職人」で、とにかく口下手。” 口で言うよりも手のほうが早い”
私が失敗したら良く金槌で叩かれました(笑)。
■部材の枯渇はあと5〜10年
私がこの仕事をはじめた頃は、
杼屋も京都で10軒ぐらいはありました。しかしそれほど仕事があるわけではありませんし、
だんだん少なくなっていって、ついに私のところ1軒だけになりました。
後継者がいないというのもありますが、もうひとつ深刻なのは杼を作るのに必要な部品・材料が無いということ。
このことは、穀田さんの国会質問でも取り上げていただきました。
杼の先端には真鍮製の「杼金」を使いますが、こんなものを少量で作ってくれる金属加工の工場はそうそうありません。
宮崎県産の赤樫も品質が落ちています。ヨコ糸が出てくるガイドとなる「糸口」には清水焼のものを使っていますが、
こちらも作っていただける職人さんが高齢で注文を受けられなくなりました。
今、私の手元にある部材が無くなれば、手作りの杼が新たに作られることは無くなるということです。
* 長谷川さんの「杼金」は赤樫に直接打ち込むタイプ。
熟練しないと木が割れるなど扱いが難しい。
■選定保存技術者−仕事に「誇り」と「生き甲斐」
1990年ごろでしょうか、文化庁の人たちがこの職場をおちょくちょく訪れるようになりました、
しばらくして京都府からも文化財保護の担当者が来るようになりました。それで、
1997年に京都府の選定保存技術者として、1999年に文化庁の選定保存技術保持者として認定されました。
表彰を受けてからは、私の技術と作品を紹介するパンフレットを作っていただいたり、
杼の制作過程をビデオで撮影していただいたり、講演に呼ばれるなど外へ出て行く機会も増えました。
これは本当に嬉しかったです。それまでは部品を仕入れるのをストップして、
材料が無くなれば引退という事も考えていたんですが、枯渇しかけている部品を大量に仕入れました。
仕事への誇りと生きがいを感じることができましたね。
■こくたさんに期待します
私はこの2月に75歳を過ぎて後期高齢者、
妻はまだ75歳になっていないので別々の保険証になってしまい、 早速私の年金から天引きが始まりました。
最近の国会を見ていると、腹の立つことばかりです。特に「審議拒否」とか言って、
国会がストップしているという話を聞くと、
議論しなくちゃいけないことがたくさんあるだろうに何をやっているのかと腹が立ちます。
その点、こくたさんをはじめ、
共産党の皆さんはきちんと国会を議論をするための場所としてキッチリ仕事をしてくれていると感じてます。
西陣織のことも熱心にとりあげて、こうしてその部品にまで目を向けて、話を聞きに来てくれる。
ありがたいことだと思ってます。
今後のこくたさんの活躍に期待しています。
[2008年5月]
こくた恵二から一言
2月に、伝統的工芸品産業の道具・原材料枯渇問題について予算委員会分科会で取り上げるために訪問をさせていただきましたが、私たちがお話を伺っている間、ずっと長谷川さんの奥様が、そばに寄り添って手助けをされていたのがとてもほほえましく印象的でした。
きっと、長谷川さんにとって、仕事の上でも生活の上でも『かけがいのない存在』なのだろうと感じました。長谷川さんのすばらしい「伝統の技」の保存・継承にとって、奥様の存在も「隠れた功労者」です。
|