こくたせいこ
染色屋
「肩書き」を求められることがある。人によってはたやすいことだろうが、わたしにはこれが苦痛の種になる。
布を染め、その布で衣服を作り、それを売ることで生計を立てているとき、普通、人は「染色家」、「染色デザイナー」、「染色作家」などと呼ぶ。生計が立っているかどうかは不問に付すとしても、わたしは身の縮む思いだ。
京都は芸術の町である。優れた「染色家」たちが大いなる活動を展開していて、作品は平面であることが多い。平面というのは、形は屏風だったり衝立だったりして、絵の具の代わりに染料を用いた「絵」だと思えばいいだろうか。作家の思いや思想、哲学が表現されていて、わたしたちの心を癒し、あるいは震わせる。わたしの作品に芸術性を問われれば、この人たちにまったく顔向けはできない。
京都は伝統文化の町である。数十年にわたって腕を磨いてきた、自らを「職人」と呼ぶ人々は生半可な数ではない。伝統の技を身につけ、ひたすら修行を重ね、優れた道具や衣服を作り、黙々と仕事に向かう人々は、私たちの日々の心豊かな暮らしを支えてきた。わたしが自らを「職人」と名乗るのは、この人々に対してあまりにも失礼であろう。
ならば、わたしは一体何者なのか。
真っ白の絹布を染めてわたしが創り出す衣服は、私自身の感性が「OK」のサインを出したものだ。その衣服が別の一つの個性と出会い、その個性がさらに輝くのならそれがわたしの喜びである。今を生きる女たちがちょっとうれしく一日を暮らすことに少々役立てば、それが私の仕事だ。
わたしは自分に「染色屋」の肩書きを与えることにしよう。まことにささやかな、しかし面白い仕事である。
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